戦後韓国での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 16:26 UTC 版)
第二次世界大戦の中でかつての君子里コースは荒廃し、戦後の韓国でゴルフが顧みられる余裕はなかった。君子里コースはアメリカ軍の支援を受けて1950年5月に復旧されるものの、間もなく朝鮮戦争が勃発した。徳春も朝鮮戦争で長子や養女を失うなど辛酸をなめた。1954年に君子里コースは復旧し、ソウルカントリークラブとして再開された。 1956年、第4回カナダカップ(ワールドカップの前身)に招聘され、パク・ミョンチュルとともに出場。 1958年6月、ソウルカントリークラブで開催された第1回韓国プロゴルフ選手権に出場し、初代優勝者となった。 以後、1963年、プロ選手の親睦団体として「プロゴルフ会」(프로골프회)を設立した。1968年には政財界の支援を取り付け、韓国プロゴルフ協会(KPGA)の設立に大きな役割を果たした。1972年には、KPGAはプロゴルファーが直接運営する組織であるべきという議論からKPGA第2代会長に就任。ゴルフ界の業務(プロ資格認定、選手の海外派遣派遣など)に携わるとともに、選手としても活動を続け、また多くの後進を指導した。
※この「戦後韓国での活動」の解説は、「延徳春」の解説の一部です。
「戦後韓国での活動」を含む「延徳春」の記事については、「延徳春」の概要を参照ください。
- 戦後韓国での活動のページへのリンク