戦後 - 財閥解体 野村銀行から大和銀行へとは? わかりやすく解説

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戦後 - 財閥解体 野村銀行から大和銀行へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:02 UTC 版)

大和銀行」の記事における「戦後 - 財閥解体 野村銀行から大和銀行へ」の解説

戦後財閥解体野村財閥1946年12月7日第2次指定を受け解散。また野村銀行自体も、行名変更余儀なくされた。財閥解体進行に伴い制限会社対する特別措置中に財閥名の払拭含まれていたためである。変更名では、第1案として地名の「大阪銀行」と改称し地元金融機関として生きる道考えたが、先に住友銀行の案と競合したため、次善策として第2案の「大和銀行」に落ち着くことになった。「大和」の由来は、財閥解体下における新体制での「大いなる和」と、野村財閥商標である「山にト」(=やまと)を掛け合わせた物であり、また「大和」の「大」は「大阪」をも意味した現在の野村證券野村グループ)の社章はこの「山にト」をモチーフしたものである。当然ながら大和証券とは全く関係がない)。これは行員から案を募ったもので、大和銀行行史では「文字として平明であり、『だいわ』と読む語呂のおだやかさが親しみ感じさせ、役職員愛着深め、またその意味聖徳太子憲法『和を貴ぶ』の精神から来ている」と説明されている。行名変更は、奇しくも創業30周年にあたる1948年10月となり、株式会社大和銀行として再発足した。 1949年11月甲種外国為替銀行認可を得、銀行信託外国為替3本とする総合金融機関体制実現した

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