戦後 - 財閥解体 野村銀行から大和銀行へ
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「大和銀行」の記事における「戦後 - 財閥解体 野村銀行から大和銀行へ」の解説
戦後、財閥解体で野村財閥は1946年12月7日 に第2次指定を受け解散。また野村銀行自体も、行名変更を余儀なくされた。財閥解体の進行に伴い、制限会社に対する特別措置の中に財閥名の払拭も含まれていたためである。変更名では、第1案として地名の「大阪銀行」と改称し地元金融機関として生きる道を考えたが、先に住友銀行の案と競合したため、次善策として第2案の「大和銀行」に落ち着くことになった。「大和」の由来は、財閥解体下における新体制での「大いなる和」と、野村財閥の商標である「山にト」(=やまと)を掛け合わせた物であり、また「大和」の「大」は「大阪」をも意味した(現在の野村證券(野村グループ)の社章はこの「山にト」をモチーフにしたものである。当然ながら大和証券とは全く関係がない)。これは行員から案を募ったもので、大和銀行行史では「文字として平明であり、『だいわ』と読む語呂のおだやかさが親しみを感じさせ、役職員に愛着を深め、またその意味は聖徳太子の憲法『和を貴ぶ』の精神から来ている」と説明されている。行名変更は、奇しくも創業30周年にあたる1948年10月となり、株式会社大和銀行として再発足した。 1949年11月、甲種外国為替銀行の認可を得、銀行・信託・外国為替を3本の桂とする総合金融機関の体制を実現した。
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