戦後 - 詩的日記とは? わかりやすく解説

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戦後 - 詩的日記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 22:54 UTC 版)

フランシス・ポンジュ」の記事における「戦後 - 詩的日記」の解説

1947年深夜叢書からレジスタンス文学アンソロジー祖国日夜つくられるフランス語版)』が出版された。ポンジュはこの作品集第2部占領追放」に「嫌悪邦訳にくしみ」)」と「変身邦訳轉身」)」の2編の詩を掲載している。ジャン・ポーランドミニク・オーリー編纂したこの作品集にはアラゴンエリュアールクロード・アヴリーヌジャン・ゲーノエルザ・トリオレサルトルカミュなど多数レジスタンス作家作品掲載され日本でも1951年渡辺淳小場瀬卓三安東次男共訳2巻本として出版されているため、厳密には、これが日本でポンジュ作品目にする最初機会であった。ポンジュと共にレジスタンス参加し共産党員として戦時下地下出版された『レットル・フランセーズ』紙のほか、戦後共産党の機関紙『ス・ソワール(フランス語版)』や同じく共産党系の『ユーロープ』誌を再刊編纂していたアラゴンは、戦後もまだ経済的に困難な状況にあったポンジュに共産党別の機関紙アクシオン』の文学欄担当するよう依頼した。だが、ポンジュは1947年共産党の「知的党派性」を理由離党することになった。生活が安定したのは1950年代国内外講演を行う機会増え1952年アリアンス・フランセーズ教員採用されてからである(1964年まで勤務)。 1952年には『表現の炎』が出版された。これは『物の味方のような緊密な構成よるものではなく断片的なテクストによって構成された「詩的日記」と称するものであり、これ以後同様の形式作品発表し続けとりわけ1971年発表の『牧場制作』は、約4年わたって執筆された60ページ上の文の連なり、「時間集積体」である。この一環として1984年には『文学実践あるいは永遠未完成』が出版された。これは、彼自身文学創作についてのメモ覚え書き下書きであり、詩人決し到達することのないオブジェ真実にどこまでも近づくために、何度も読み直して修正加え次々と改訂版作られていく創作現場である。 1961年には『大作品集』全3巻1967年には『新作品集』、没後1992年に『新新作品集』、1999年から2002年にかけてガリマール出版社プレイヤード叢書として全2巻全集刊行されるほか、ジャン・ポーラン、ジャン・トルテル、ジャン・ティボードー(フランス語版)、フィリップ・ソレルスアルベール・カミュとの書簡集出版された。2014年にはポンジュが家族宛てた手紙などポンジェ研究にとって重要な資料を含む『ポンジュとその読者』が刊行された。 1980年代国家大賞アカデミー・フランセーズ大賞文学者協会文学大賞などフランス文学において重要な賞を受賞した(以下参照)。 1988年1961年から住んでいた南仏ル・バール=シュル=ループロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=マリティーム県)にて死去89歳没。

※この「戦後 - 詩的日記」の解説は、「フランシス・ポンジュ」の解説の一部です。
「戦後 - 詩的日記」を含む「フランシス・ポンジュ」の記事については、「フランシス・ポンジュ」の概要を参照ください。

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