戦後 - 詩的日記
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「フランシス・ポンジュ」の記事における「戦後 - 詩的日記」の解説
1947年、深夜叢書からレジスタンス文学のアンソロジー『祖国は日夜つくられる(フランス語版)』が出版された。ポンジュはこの作品集の第2部「占領と追放」に「嫌悪(邦訳「にくしみ」)」と「変身(邦訳「轉身」)」の2編の詩を掲載している。ジャン・ポーランとドミニク・オーリーが編纂したこの作品集にはアラゴン、エリュアール、クロード・アヴリーヌ、ジャン・ゲーノ、エルザ・トリオレ、サルトル、カミュなど多数のレジスタンス作家の作品が掲載され、日本でも1951年に渡辺淳、小場瀬卓三、安東次男の共訳で2巻本として出版されているため、厳密には、これが日本でポンジュ作品を目にする最初の機会であった。ポンジュと共にレジスタンスに参加し、共産党員として戦時下で地下出版された『レットル・フランセーズ』紙のほか、戦後に共産党の機関紙『ス・ソワール(フランス語版)』や同じく共産党系の『ユーロープ』誌を再刊・編纂していたアラゴンは、戦後もまだ経済的に困難な状況にあったポンジュに共産党の別の機関紙『アクシオン』の文学欄を担当するよう依頼した。だが、ポンジュは1947年に共産党の「知的党派性」を理由に離党することになった。生活が安定したのは1950年代に国内外で講演を行う機会が増え、1952年にアリアンス・フランセーズの教員に採用されてからである(1964年まで勤務)。 1952年には『表現の炎』が出版された。これは『物の味方』のような緊密な構成によるものではなく、断片的なテクストによって構成された「詩的日記」と称するものであり、これ以後は同様の形式の作品を発表し続け、とりわけ、1971年発表の『牧場の制作』は、約4年にわたって執筆された60ページ以上の文の連なり、「時間の集積体」である。この一環として、1984年には『文学の実践あるいは永遠の未完成』が出版された。これは、彼自身の文学創作についてのメモ・覚え書き、下書きであり、詩人が決して到達することのないオブジェの真実にどこまでも近づくために、何度も読み直して修正を加え、次々と改訂版が作られていく創作の現場である。 1961年には『大作品集』全3巻、1967年には『新作品集』、没後の1992年に『新新作品集』、1999年から2002年にかけてガリマール出版社のプレイヤード叢書として全2巻の全集が刊行されるほか、ジャン・ポーラン、ジャン・トルテル、ジャン・ティボードー(フランス語版)、フィリップ・ソレルス、アルベール・カミュとの書簡集が出版された。2014年にはポンジュが家族に宛てた手紙などポンジェ研究にとって重要な資料を含む『ポンジュとその読者』が刊行された。 1980年代に国家詩大賞、アカデミー・フランセーズ詩大賞、文学者協会文学大賞などフランス文学において重要な賞を受賞した(以下参照)。 1988年、1961年から住んでいた南仏ル・バール=シュル=ルー(プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏、アルプ=マリティーム県)にて死去、89歳没。
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