戦後、連立与党としてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 戦後、連立与党としての意味・解説 

戦後、連立与党として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:06 UTC 版)

イタリア共和党」の記事における「戦後、連立与党として」の解説

第二次世界大戦後イタリア1946年王政廃止についての国民投票経て共和国となった。しかし議会キリスト教民主主義DC)とイタリア共産党PCI)の2党が議席多く占めるようになり、共和党は両党に挟まれる形で中道派小政党転落した。だが王政廃止されたこともあってアルチーデ・デ・ガスペリ首相率い連立政権参加し初め与党入りした。以後1962年下野するまで中道右派連立与党一角占め下野後も翌1963年アルド・モーロキリスト教民主主義イタリア社会党を軸とする中道左派連立政権樹立すると、これに参加した1981年には党指導者ジョヴァンニ・スパドリーニが、第二次世界大戦後イタリアで初めキリスト教民主主義以外から選出され首相となった(この時点では共和党下院における第7党で、こうした少数政党から首相選出されることは議院内閣制下の連立政権でも世界的にみて珍しい例とされる)。この間、党の得票率1%から最大でも5%前後だった が、戦後イタリアで連立政権が続くなか比較的、重要な位置占め続けた。しかし1991年4月ジュリオ・アンドレオッティ内閣から離脱し久しぶり野党となった

※この「戦後、連立与党として」の解説は、「イタリア共和党」の解説の一部です。
「戦後、連立与党として」を含む「イタリア共和党」の記事については、「イタリア共和党」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「戦後、連立与党として」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戦後、連立与党として」の関連用語

戦後、連立与党としてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戦後、連立与党としてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのイタリア共和党 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS