松竹洋画からピンクへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:07 UTC 版)
やがて、1935年(昭和10年)ころには松竹に経営が移り、松竹洋画興行の二番館となった。第二次世界大戦後は、セントラル映画社(CMPE, セントラル・モーション・ピクチュア・エキスチェンジとも)が独占的に配給するアメリカ映画を一番館として封切上映する、アメリカ映画専門館となった。当時もひきつづき松竹の直営館であり、支配人は松田直次郎、観客定員数は668名であった。セントラル映画社は1951年(昭和26年)12月27日には解体された。 1970年代以降は、松竹系の成人映画製作会社・東活株式会社の作品を上映する映画館となり、1980年代末、あるいは1990年前後に閉館、解体された。跡地は、TOCに売却されて、ROX2Gとなった。
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