東海道沿い(江戸見附から)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 08:15 UTC 版)
「神奈川宿」の記事における「東海道沿い(江戸見附から)」の解説
長延寺跡 - 江戸見附とされていた後、旧オランダ領事館も兼ねる寺であった。1966年横浜市緑区三保町に移転、跡地は神奈川通東公園となっている。 笠䅣稲荷神社 - 天慶年間(10世紀半ば)の創建と伝わる。 良泉寺 - 故意に屋根を壊し修理中を口実に外国人宿舎になることを断ったという逸話を持つ。 能満寺 - 漁師が海中から拾い上げた虚空蔵菩薩を祀ったと伝わる。 神明宮 - 能満寺境内にあったが、明治初の神仏分離により分かれる。 上無川跡 - 水が少なく水源が定かでなかったため上無川(かみなしがわ)と呼ばれ「神奈川」の由来の一説となった小川。関東大震災後の復興で埋め立てられた。 東光寺 - 本尊は太田道灌の守護仏。 妙仙寺跡 - 1908年移転した、現在の妙蓮寺である。跡地は横浜線貨物線路敷跡。 金蔵院 - 醍醐寺三宝院の勝覚が1087年(寛治元年)に創建。 熊野神社 - 金蔵院と同年に勝覚が権現山に創建、当地へ遷座。 神奈川御殿跡 - 将軍上洛や鹿狩りの際の宿泊施設。利用されなくなったため17世紀半ばに廃止。仲木戸という地名は御殿の木戸があったことにちなむという。 成仏寺 - 旧アメリカ人宣教師の宿舎で、ヘボン式ローマ字で知られる宣教師ヘボンやフランシス・ホールらが滞在していた。 慶運寺 - 旧フランス領事館。観福寺(廃寺)から移管された、浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったとされる観音像がある。「浦島太郎伝説関係資料」を参照 神奈川本陣跡 - 石井家が任命されており、石井本陣とも言われる。 高札場跡 - 神奈川地区センター前に再現。 滝野川・滝野橋(「滝野」は「滝の」・「滝ノ」・「滝之」とも表記)- 神奈川宿の中央を流れる川。 浄瀧寺 - 旧イギリス領事館。 青木本陣跡 - 鈴木家が任命されており、鈴木本陣とも言われる。 神奈川の大井戸 - 江戸時代には東海道中の名井戸に数えられた。井戸水の増減で明日の天気がわかるとされ、「お天気井戸」の異名があった。 宗興寺 - 宣教師ヘボンが療養所を開いていた場所。 権現山 - 本覚寺のある高島台と尾根伝いに繋がる急峻な山。台場建設用土砂採掘や鉄道建設用開削で削られ、山頂地点は幸ヶ谷小学校になっている。 洲崎大神 - 源頼朝が安房神社を勧進して1191年(建久2年)に創建。 甚行寺 - 旧フランス公使館。 青木橋 - 新橋-横浜間に開通した鉄道の切通しにより東海道が分断されたため跨線橋として架けられた。鉄道と同年開業の神奈川駅 (国鉄)は橋の南側にあった。 本覚寺 - 旧アメリカ領事館。領事館員が塗った日本初のペンキ塗装の山門が現存する。生麦事件で斬られたイギリス人2人が逃げ込んだ場所でもある。 豊顕寺跡 - 三ツ沢へ移転。法華宗の三沢檀林。 神奈川一里塚跡 - 日本橋から七つ目の一里塚。 大綱金刀比羅神社 - 平安時代末期の創建と伝えられ、飯綱社と呼ばれた。金毘羅社を合祀。 田中家 - 歌川広重の絵などに描かれている旅籠「さくらや」の跡に1863年(文久3年)創業した料亭。坂本龍馬の妻楢崎龍が仲居として働いていた。 神奈川台関門跡 - 開港後の外国人殺傷事件を受け、警備強化のため設置された関門。 上台橋 - 道路の切通しを作るために東海道が分断されたため1930年(昭和5年)に架けられた。 (現在地不明) 神奈川陣屋跡 - 江戸幕府の付近一帯の領地を所管する機関であった。
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