宗興寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/23 06:27 UTC 版)
| 宗興寺 | |
|---|---|
| |
|
| 所在地 | 神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷10-6 |
| 位置 | 北緯35度28分20.8秒 東経139度37分52.7秒 / 北緯35.472444度 東経139.631306度座標: 北緯35度28分20.8秒 東経139度37分52.7秒 / 北緯35.472444度 東経139.631306度 |
| 山号 | 開塔山 |
| 院号 | 日輪院 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 聖観世音菩薩 |
| 創建年 | 不詳 |
| 中興年 | 寬文(1661年-1673年)の頃 |
| 中興 | 朝鑑秀賀 |
| 正式名 | 開塔山日輪院宗興寺 |
| 別称 | 大井戸寺 |
| 札所等 | 横浜三十三観世音霊場15番、旧小机領三十三所子歳観音霊場8番 |
宗興寺(そうこうじ)は神奈川県横浜市にある曹洞宗の仏教寺院。山号は開塔山。ヘボン式ローマ字で知られる宣教師・ジェームス・カーティス・ヘボンが施養所を開いていた。
本尊
歴史
創建は不詳だが、1440年(永享12年)に八丈島の宗福寺再建で当寺の僧が住職となったといい、1450年(宝徳2年)の鎌倉八幡宮関係文書には当寺が記されている[1]。
昔は真言宗で神奈川宿の荒宿にあり、浜宿へ移り、1615年前後に徳川秀忠から寄進を受けて当地で本殿を建立したというが、その後火災で堂宇や記録は悉く焼失し中絶、寬文(1661年-1673年)の頃に本覚寺の朝鑑秀賀が中興して曹洞宗に改めた[1]。
文政年間(1818年-1831年)には客殿をも有していたが、1849年に焼失、1855年(安政2年)に再建した[1]。
1859年(安政6年)の横浜開港後は、アメリカのデュアン・シモンズやマーティン・ワイコフらが居住し、その後ジェームス・カーティス・ヘボンが施養所を開いた[1]。
1923年(大正12年)の関東大震災では灰燼に帰すも、直後に仮堂を建築して復興する[1]。1945年(昭和20年)の横浜大空襲でも甚大な被害を受ける。
境内
- 本殿 - 近代的外観で、2階が本堂になっており、仏像をはじめ様々な木彫刻や襖絵が並ぶ。
- 六地蔵
- 観音堂 - 境内の山上にあったが、山が神奈川砲台築造で削り採られたので山下に移すも、関東大震災で被災して復興されず[1]。
- ヘボン博士施療所記念碑
- 神奈川の大井戸 - 徳川秀忠上洛の折には茶の湯に使われ、明治天皇行幸時も用いられた名水[1]。江戸時代には東海道中の名井戸に数えられ、宗興寺を「大井戸寺」と呼ぶほどで、この水を売る水屋がいたという。井戸水の増減で明日の天気がわかるとされ、「お天気井戸」の異名があった。[2]
所在地・交通
神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷10-6
脚注と出典
- ^ a b c d e f g h 『横浜市史稿 仏寺編』第4章仏寺各説 第4節 曹洞宗 8「宗興寺」(横浜市役所 1932年)NDLJP:1213532/329
- ^ 「「神奈川宿歴史の道」(横浜市神奈川区)(2025年10月20日閲覧)
関連項目
外部リンク
- 横浜市神奈川区ホームページ(2025年10月20日閲覧)
- 宗興寺のページへのリンク