宗福寺_(東京都八丈町)とは? わかりやすく解説

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宗福寺 (東京都八丈町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/29 06:45 UTC 版)

宗福寺(八丈島)
宗福寺
所在地 東京都八丈島八丈町大賀郷2497番地
位置 北緯33度06分43.3秒 東経139度47分34.3秒 / 北緯33.112028度 東経139.792861度 / 33.112028; 139.792861座標: 北緯33度06分43.3秒 東経139度47分34.3秒 / 北緯33.112028度 東経139.792861度 / 33.112028; 139.792861
山号 甑峰山
院号 しょうそういん
宗旨 浄土宗
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀仏
創建年 1208年承元2年)
開山 1208年(承元2年)
正式名 甑峯山天松院宗福寺
別称 宗福寺
文化財 伝快慶作・大日如来・仏師民部作の木彫等・東京都指定有形文化財を所蔵。
公式サイト (日本語) ~八丈島 名所・旧跡ご紹介~ 「宗福寺」
法人番号 3010005014974
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宗福寺(そうふくじ)は、東京都八丈島八丈町大賀郷に建てられた清和源氏系源氏の菩提寺である。承元2年(1208年)(承元2年)に建立された。開山は源為朝庶子、二郎丸。

宇喜多秀家菩提寺でもあり、現在[いつ?]でも供養が行われる。

源頼朝より八丈島を領地として賜って以来、約1000年間、子孫が暮らしている。また、清和源氏末裔でもあり、今でも源(みなもと)姓を名乗っている。領主であった源家当主は現在[要出典]まで、2代目より寺院住職を兼ねており、35代目である。[要出典]

元々、寺院は源為朝の庶子である二郎丸が父の供養に建立した。しかし、2代目より地元の寺として解放し、領主と住職を兼ねるようになる。 正式には1208年(承元2年)に西山と呼ばれていた山の麓に香炉山弥陀寺を二郎丸は建立した。しかし応永7年(1400年)頃に西山の噴火により、焼失する。永享12年(1440年)に当時街の中心地区であった大里地区において、甑峯山天松院宗福寺として禅宗寺院として再建する。永禄3年(1560年)頃に浄土宗となり、1930年昭和5年)頃、街の中心部の移転に伴いその近くの中道に移転して、2025年令和7年)現在に至る。

戦後、新政策により華族制度廃止の影響を受けて、寺院の住職業が本職となる。

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