洞隣寺の墓の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 14:15 UTC 版)
「今岡町 (刈谷市)」の記事における「洞隣寺の墓の伝承」の解説
天正17年(1589年)に創立された神明社(今岡神社)が町の氏神であり、国道1号すぐ北側にある。旧東海道沿いには浄土真宗の乗願寺と曹洞宗の洞隣寺がある。乗願寺は天正15年(1587)の創建とされ、当初は地蔵寺といった。洞隣寺は天正8年(1580年)の創建とされ、旧東海道沿いには寛政8年(1796年)の年号が刻まれた常夜灯が置かれている。洞隣寺には「めったいくやしいの墓」と「中津藩士の墓」があり、墓にまつわる伝承が残されている。かつて洞隣寺に気立てのよい娘がおり、高津波村(現刈谷市中部)の医王寺で住職に恋をしたが、娘の恋はかなわずに憤死してしまった。亡骸は洞隣寺に葬られたが、この墓の上に青い火玉が浮かんだり「めったいくやしい」という声が聞こえたりしたという。 また寛保2年(1742年)、中津藩家臣の牟礼清五郎と渡辺友五郎が今岡村を通りがかった際、遊女の話で口論となり、斬りあった末にふたりとも亡くなった。ふたりの亡骸は洞隣寺に葬られたが、二基の墓は互いから離れるように傾き、何度直しても傾いてしまった。村人が改めて手厚く葬ってからは傾かなくなったとされる。一般には上記のように語られるが、岡山大学付属図書館が所蔵している『日録』にはやや異なる記述がある。これによると、渡辺友五郎が病気で牟礼清五郎をうち果たし、自身も命を絶ったという。同伴した喜多村弥三右衛門ら4人は洞隣寺で後始末をし、友五郎の位牌には「帰真剣山智光信士霊位」という戒名が書かれている。
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