喜多村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/02 19:05 UTC 版)
きたむら 喜多村 |
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廃止日 | 1908年4月1日 |
廃止理由 | 新設合併 喜多村、平村 → 大洲村 |
現在の自治体 | 大洲市 |
廃止時点のデータ | |
国 | ![]() |
地方 | 四国地方 中国・四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 喜多郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 3,982人 (角川日本地名大辞典 38 愛媛県、1904年) |
隣接自治体 | 大洲町、平村、久米村、三善村、新谷村 |
喜多村役場 | |
所在地 | 愛媛県喜多郡喜多村大字若宮 |
ウィキプロジェクト |
喜多村(きたむら)は、愛媛県喜多郡にあった村。現在の大洲市中心部の北北東一帯、予讃線五郎駅・伊予大洲駅の周辺にあたる。
地理
- 河川:肱川
歴史
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制の施行により、中村・若宮村・五郎村および大洲町の一部(常盤町)の区域をもって発足。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 平村と合併して大洲村が発足。同日喜多村廃止。
交通
鉄道路線
現在は旧村域に予讃線の五郎駅・伊予大洲駅が所在するが、当時は未開業。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 38 愛媛県
関連項目
喜多村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/16 01:48 UTC 版)
喜多村は、その先祖が家康に従って江戸入りし武士として奉公していたが、初代文五郎が町人になりたいと願ったため「御馬御飼料の御用」と「江戸町年寄役、関八州の町人連雀商札座、長崎糸割符三ヶ条の御役儀」を命ぜられたという。また、喜多村は明智光秀の子孫であるとする伝承があるが、裏付けはできていない。文五郎が隠居する際、家督を二分し、婿の彦右衛門へ町年寄役を譲り、他は実子文五郎へ相続させたと由緒書にある。この2代目彦右衛門は金沢の町年寄からの入婿である。 当初は、喜多村は町支配の他に、馬の飼料を補給する役割と連雀商札座の特権を与えられていたことになる。 初代弥兵衛の後は、彦右衛門または彦兵衛と名乗る者が多かった。
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