東海道沖の地震連動の可能性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 07:19 UTC 版)
「正平地震」の記事における「東海道沖の地震連動の可能性」の解説
遺跡の発掘や地質調査および大坂における津波の遡上範囲から、正平地震は宝永地震と並ぶ大規模な南海トラフ巨大地震であった可能性を示唆している。また潮岬の橋杭岩の転石は、高い流速をもつ巨大津波によって移動した津波石と推定され、その移動は1707年の宝永地震によるものと、12-14世紀頃の移動の痕跡が認められ、正平地震の可能性があるとされる。 東海道沖の地震の震源域で発生したと考えられた1360年の地震は存在が疑われるが、本震の2日前の地震については、これを前震と考えるよりは、この22日の地震こそが正平東海地震であり、その後余震活動が活発となり南海地震に至ったと考える方が自然であるとされる。 伊勢神宮に伝わる『神宮文書』には、「康安元年六月の地震により外宮正殿の御壁板が抜け懸け、御束柱が顛倒する」との記載があり、この付近の烈震をもたらしたのは東南海地震の震源域が動いた可能性が高いとされる。これは1944年昭和東南海地震および1707年宝永地震による伊勢神宮外宮の被害と比較して著しく大きく震度5を大きく上回った可能性があるとされる。
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