村正御大小
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)
徳川美術館によれば、徳川家康は村正の愛好家の一人であり、家康が村正を忌避したというのは後世の創作である。事実、家康は打刀と脇差の二振りの村正を所蔵し、2017年時点でも、打刀は尾張徳川家に伝わっている。なお、家康は優れた政治家なだけではなく、戦国時代きっての剣豪の一人でもあり、晩年には剣聖塚原卜伝の高弟である松岡兵庫助則方から奥義「一の太刀」を伝授されている。 打刀の方は、刀〈銘 村正/〉、68.80 cm、反り1.80 cm、徳川美術館蔵。カラー写真 『特別企画展「村正 ―伊勢桑名の刀工―」』所載。一度は潰し物となるはずだったのにそうはならず(後述)、「廃棄し難き優刀」と謳われ、日本刀研究の泰斗である本間薫山も「出来面白シ」と評した村正の傑作である。皆焼(ひたつら)と呼ばれる刃文の形式で、焼き入れが刃全体に及び、文様が一面に乱れ飛ぶため、華やかな印象になる。皆焼刃は村正に極めて珍しく、他には短刀「群千鳥」や短刀「夢告」など数えるほどしか現存しない(#特殊な号や銘を持つ作)。村正の皆焼は特に「匂い皆焼」に分類され、他に島田派や末関物、末相州が得意とし、実際村正はこれらの流派と交流があった(#合作刀)。打刀の製作年代について、本間勲山の鑑定結果では文亀(1501-1504年)または元亀(1570-1573年)とされ、これは二人の職員が勲山から聞いたので、どちらかの職員が聞き間違いをしたもので、どちらが真実なのかは不明。小泉久雄は永正(1504-1521年)とし、稲垣善次は文亀元年(1501年)の代の村正の前にもう一世代あって、応仁・文明年間(まとめると1467–1487年)頃に桑名に移住してきた代の村正の作ではないかとする。 脇差の方は、尾張徳川家第19代当主徳川義親の代に、徳川美術館および徳川生物学研究所の資金を得るために、大正10年(1921年)11月17日に「尾張徳川家御蔵品第二回売立」で売却された。その時の挿図は原史彦の論文に所載。 家康の遺産目録である、尾張徳川家本『駿府御分物御道具帳』「駿府御分物之内御太刀御腰物御脇指御長刀御鎗帳」(以下「御腰物之帳」と略)は406振もの刀剣を記している。「御腰物之帳」では、村正は、打刀が「下御腰物」99振の78番目と、脇差が「下大脇指」21振の15番目に記載されていて、少なくとも2振が尾張徳川家に渡ったことがわかるが、実際は帳にない刀剣も尾張徳川家に現存しているので、それ以上の村正が渡った可能性はゼロではない。これらの刀剣は、家康が没して2年後の元和4年(1618年)11月1日に、尾張藩士の立会・検分の後、駿府城で尾張徳川家に引き渡され、名古屋城天守内で保管された。 実際に家康が存命中にこの打刀と脇差を大小一揃いで佩用したのかは確実ではないが、少なくとも、延享年間(1744–1748年)に作成された尾張家の刀剣保存記録『御天守御腰物元帳』では、「三番御長持」に保管される刀剣として、「村正御大小(むらまさおだいしょう)」と、神祖家康の一揃いの御物として扱われている。 なお、この元帳では、この村正は「潰物ニ成筈」「右三番御長持御道具疵物ニ而御用ニ難相立候」、つまり、疵があるので御用(贈答や佩刀)の役に立たない、潰し物にして廃棄すべき刀剣だ、と記されている。今ある村正の打刀は一見健全に見えるため、2013年の時点では、「家康の死後に広がった村正の妖刀伝説をはばかって(廃棄と)記したのではないか」と推測されていた。しかし、その後改めて検分してみると、打刀の表の小鎬筋から棟に沿い疵をならして修復した形跡があり、実際に疵物だったのが事実であることが判明している(尾張徳川家に来た当時から疵があったのか、それとも後から疵を生じたのか等は不明)。当時は、村正の打刀と脇差で一揃いと見なされていたので、一方にでも疵があれば「御用」の役に立たないと思われたのである。あくまで現実的な判断の下であって、言い換えれば、妖刀伝説の風評被害の影響は1740年代にはまだ尾張徳川家には及んでいなかったことになる。 一度は潰し物と判じられた村正の打刀と脇差だが、神祖家康自身の遺産というのが重視されたためか、修復を受け、江戸時代を通じて保存された。 村正は実戦刀であって刀の格といったものは本来あまり高くなく、尾張徳川家に引き渡された時点では「下」に位されているが、保管中に評価が上がったらしく、明治5年(1872年)1月の刀剣目録『御腰物台帳』では、この二振りは仁義礼智人の五段階の格付けうち、ちょうど中位の「礼」格で記載されている。ここで、村正は潰し物にはせずに、道具、佩用、手当(家臣への恩賞用)などの用途に活用されることが決定された。
※この「村正御大小」の解説は、「村正」の解説の一部です。
「村正御大小」を含む「村正」の記事については、「村正」の概要を参照ください。
- 村正御大小のページへのリンク