最高裁判所における事例
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皇居前広場事件 1953年12月23日 公園使用不許可処分の取消については、申請した期日の経過によって法律上の利益を喪失したとする訴訟終了をしつつ、決定文において、公園使用不許可処分を違法ではないとする実体判断を示した。 朝日訴訟 1967年5月24日 「念のため判決」として有名。原告死亡による訴訟終了ながら、生存権の性格につき、詳細に意見を述べている。 白鳥決定(白鳥事件) 1975年5月20日 冤罪である可能性が一部で指摘されているが、再審請求そのものは、棄却された。但し、この棄却の決定文の中において、「再審制度においても『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用される」との判断を述べた。日本における、その後の冤罪(とされる)事件の再審請求において、必ずと言って良いほど援用・引用される。 永山則夫連続射殺事件 1983年7月8日 「永山基準」として有名。永山判決における死刑適用基準である「永山基準」は、9つの項目で構成されるが、全てが永山判決のために必要だったわけでない。裁判所が死刑判決をする際、「永山基準」を踏まえることが多かったこともあり、一定の意義を持つ。なお、この「永山基準」は、光市母子殺害事件での判断により、事実上、修正された、という見解も存在する。 外国人地方参政権裁判(日本における外国人参政権) 1995年2月28日 原告敗訴の判決だが、法律をもって外国人に地方の参政権を付与することは、憲法上、必ずしも禁止されていない、とする「部分的許容説」の立場を示した。なお、この「部分的許容説」を示した部分は、現行憲法の下での外国人への地方参政権の付与を合憲とする側により、理論的な根拠として挙げられることがある。これに対し、それを違憲とする側からの反論として、「傍論は、法的拘束力を持たない・法源性を持たない」と主張されることがある。が、そもそも、上(#法源性の有無)で述べたように、判決理由全体についてすら法源性の有無について学説によって見解が分かれている状況なのであるから、また、上(#効果(拘束力))で述べたように、そもそも、日本法における判決理由は、全体が法的拘束力を有さないのであるから、いずれにしても、注意が必要である。ところで、直接この判決に最高裁判所裁判官として関与した、上(#否定説)でも挙げられている園部逸夫は、自ら執筆して学術誌に寄稿した論文にて、「判例集は、第三の部分を判例とし、第一と第二は判例の先例法理を導くための理由付けに過ぎない。第一、第二とも裁判官全員一致の理由であるが、先例法理ではない。第一を先例法理としたり第二を傍論又は少数意見としたり、あるいは第二を重視したりするのは、主観的な批評に過ぎず、判例の評価という点では、法の世界から離れた俗論である。」と述べていて、外国人地方参政権の付与に反対する側に見られる「第一を先例法理としたり第二を傍論又は少数意見としたり」する論法をも、また、外国人地方参政権の付与を否定および肯定する双方に見られる「第二を重視したりする」論法をも、双方について、「主観的な批評に過ぎず、判例の評価という点では、法の世界から離れた俗論である。」と批判している。 一方、新聞のインタビュー記事において、園部は、第二について、「確かに本筋の意見ではないですよね。つけなくても良かったかもしれません。そういう意味で、中心的なあれ(判決理由)ではないけども、一応ついてると。それを傍論というか言わないかは別として、(1)と(3)があればいいわけだと、(2)なんかなくてもいいんだと、でも、(2)をつけようとしたのには、みんながそれなりの思いがあったんだと思いますね。みんなで。」とも述べている。。 なお、この裁判から10年後の2005年、ある在日韓国人が日本国籍を有さないために公務員管理職試験の受験を拒否されたことから争われた、別の裁判の最高裁判決(最判平成17・1・26)があり、その最高裁判所調査官解説の中で、この判例の「部分的許容説」部分についても言及されていて、そこには、「この説示は傍論である」とされている。 また、外国人地方参政権裁判#平成7年最高裁判決における判例と「傍論」で挙げられている複数の政治家・新聞も、この部分を「傍論」としている。
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