最高裁判所の建物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 03:59 UTC 版)
「最高裁判所 (シンガポール)」の記事における「最高裁判所の建物」の解説
最初の最高裁判所庁舎は、以前はMaxwell Houseの建物として、現在はThe Arts Houseとして知られている。この建物は、1827年にJohn Argyle Maxwellという商人の住居として建てられたが、彼は、それを植民地政府に月500ルピーで15年間貸し出すことにした。ハイストリートに面する上階の中央の部屋は、プリンスオブウェールズ島、シンガポール及びマラッカの司法裁判所として使用され、その他の部屋は、政府庁舎として使用された。1839年、裁判所は、Maxwell Houseに隣接する1階建の別館に移転したため、後年は完全に植民地政府が使用した。Maxwellは、1842年10月10日、最終的に建物を海峡植民地総督のGeorge Bonhamと東インド会社に15,600スペインドルで売却した。しかし、Maxwell Houseの別館は、近所の造船所からの騒音により、裁判所として適切でないと判明した。シンガポール川沿いの新しい裁判所庁舎は、1865年に建てられた。この建物は、現在アジア文明博物館として使われているエンプレスプレイスビルこ中心となっている。この庁舎は、1875年まで裁判所として使われ、Maxwell Houseの新しい棟に移転した。Maxwell Houseは、最終的に1954年に立法府に引き継がれた。 現在旧最高裁判所庁舎と呼ばれている新しい庁舎の建設は、Saint Andrew's Roadのパダンの向かい側のGrand Hotel de L'Europeの跡地て、1937年に始まった。1937年4月1日、建物の礎石(マラヤで最も大きい)がShenton Thomas総督によって置かれた。石の下には、1937年3月31日付の6社の新聞紙と海峡植民地硬貨が置かれた。このタイムカプセルは、3000年に回収される予定である。最高裁判所庁舎は、1939年8月3日、総督により開庁が宣言され、Percy McElwaine最高裁判所長官に引き渡された。当初は、4つの法廷があり、その他の7つの法廷は、何年もかけて追加された。これが、最高裁判所の増大する事件のため、不十分であると判明したので、Wee Chong Jin最高裁判所長官の指示で、隣のシティホールに、1986年に追加で6つの法廷、1988年にさらに6つの法廷が増設された。 1 Supreme Court Lane(以前は、Colombo Court)の旧庁舎の裏側にある現在の最高裁判所庁舎は、2002年から2005年にかけて建築された。面積は72,000平方メートルで、イギリスの設計事務所フォスター・アンド・パートナーズと地元の建設コンサルタントCPG Corporationによって設計された。建物は、ポルトガルのローザオーロラの大理石の半透明のシートで覆われている。アトリウムや天窓、エレベーターシャフトへガラスが惜しみなく使われていることや開放的なレイアウトは、法の透明性の理想を表しているといわれる。この建物での運営は、2005年6月20日に開始し、最初の審理は6月27日に行われ、2006年1月7日の法定年度が開始の式典において、S・R・ナザン大統領によって公式に開かれた。建物内には、12部屋の民事法廷、8部屋の刑事法廷、3部屋の上訴審法廷がある。高等法廷の審理は、2階から6階の部屋で行われ、上訴法廷は、最高階の9階にある円盤状の構造物の中の部屋で審理が行われる。この構造物は、旧最高裁判所庁舎のドームの現代的表現であり、司法の公正さを表している。
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