最高裁判所包囲事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 18:30 UTC 版)
「パブロ・エスコバル」の記事における「最高裁判所包囲事件」の解説
1985年11月6日、コロンビアの首都・ボゴタにあるコロンビア最高裁判所が包囲、襲撃されるという事件が起こった(→コロンビア最高裁占拠事件)。1970年4月19日に実施されたコロンビア大統領選挙のあとに組織された共産遊撃部隊、「Movimiento 19 de Abril, M-19」(4月19日運動)と呼ばれた集団が、最高裁判所の建物を包囲し、襲撃した。この包囲事件にはエスコバルが資金を提供し、支援したとされる。エスコバルの息子・ホワンによれば、「この襲撃計画を思い付いたのは父ではないが、父はM-19に100万ドルを提供した」といい、それによると、「父はM-19の構成員たちが目指していたものに共感しており、彼らを保護し、支援するための方法を模索していた」という。 当時、コロンビア最高裁判所は、コロンビアとアメリカ合衆国との間で協議されていた犯罪者身柄引渡し条約の合憲性について検討しており、「M-19」はその意趣返しに出たとみられている。M-19の遊撃部隊は最高裁の建物に闖入し、コロンビア政府の手でアメリカに送還されることを脅威に感じていたコカイン密輸業者の集団、「ロス・エクストラディタブレス」(Los Extraditables)に関する全ての書類と記録を焼却しようとした。また、「ロス・エクストラディタブレス」の名簿には、エスコバルの名が記入されていた。事件当日、「M-19」の構成員たちは建物内にいた人たちを人質に取り、人質解放交渉の際にその人質を利用することで、「ロス・エクストラディタブレス」のアメリカへの引き渡しの阻止に役立てようとした。 この襲撃事件では最高裁の判事が11人殺され、判事補、弁護士、予備評議員、簡易食堂の従業員、通行人、建物内にいた民間人が多数殺され、行方不明者も出た。
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