部分的許容説とは? わかりやすく解説

部分的許容説(特に長尾論文)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 16:46 UTC 版)

外国人参政権裁判」の記事における「部分的許容説(特に長尾論文)」の解説

外国人参政権付与請求裁判開始される以前1988年長尾一紘中央大学教授憲法学)が、論文外国人人権選挙権中心として」において、ドイツ学説である「部分的許容説」を日本初め唱え日本国憲法下でも外国人地方参政権付与できると主張した。この論文最高裁平成7年(1995年)判決の「傍論」にも影響与えた平成7年最高裁判決では外国人地方参政権について、「全ての外国人国政において参政権憲法上保されない」とする"否定説"に立ったものの、傍論一般によばれる部分で「地方レベル参政権については法律による付与憲法許容される」と記し、"部分的許容説"に立っている。 しかし、民主党中心とする連立政権誕生し外国人への地方選挙付与現実味帯びたことで、長尾自説対し疑義抱き2009年12月に「部分的許容説は維持できない違憲である」とした。 長尾はその理由として、「現実要素法解釈影響与える『立法事実原則』からも、部分的許容説は誤りである」「国家解体に向かう最大限危険な法律制定しようというのは、単なる憲法違反では済まない」と再主張した自身学説紹介したことで外国人参政権付与勢いづいたことに関しては「私の読み浅かった慚愧(ざんき)に堪えない」と謝罪した元来、「部分的許容説」は、ドイツ学会において少数であったものを長尾教授輸入した学説である。ドイツでは、1989年ハンブルク(8年以上滞在する全ての外国人に対して7つ行政区における選挙権)とシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(5年以上滞在するデンマーク人スウェーデン人ノルウェー人アイルランド人オランダ人対す選挙権)が、それぞれ外国人地方参政権付与する法改正をなし、これが憲法訴訟発展したドイツ連邦憲法裁判所1990年10月にこの法改正違憲とする判決出した。こうして、ドイツでは「部分的許容説」は否定された。その後、「ヨーロッパ連合条約批准」という要請に応じて1990年憲法改正EU加盟国国民限って地方参政権認めた改憲行った。これによって現憲法下のドイツにおいて「部分的許容説」は実務上の意味を失っている。

※この「部分的許容説(特に長尾論文)」の解説は、「外国人参政権裁判」の解説の一部です。
「部分的許容説(特に長尾論文)」を含む「外国人参政権裁判」の記事については、「外国人参政権裁判」の概要を参照ください。

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