部分的許容説(特に長尾論文)
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「外国人参政権裁判」の記事における「部分的許容説(特に長尾論文)」の解説
外国人参政権付与請求裁判が開始される以前の1988年、長尾一紘中央大学教授(憲法学)が、論文「外国人の人権-選挙権を中心として」において、ドイツの学説である「部分的許容説」を日本で初めて唱え、日本国憲法下でも外国人に地方参政権を付与できると主張した。この論文は最高裁の平成7年(1995年)判決の「傍論」にも影響を与えた。 平成7年の最高裁判決では外国人の地方参政権について、「全ての外国人に国政において参政権は憲法上保障されない」とする"否定説"に立ったものの、傍論と一般によばれる部分で「地方レベルの参政権については法律による付与は憲法上許容される」と記し、"部分的許容説"に立っている。 しかし、民主党を中心とする連立政権が誕生し、外国人への地方選挙付与が現実味を帯びたことで、長尾は自説に対し疑義を抱き、2009年12月に「部分的許容説は維持できない。違憲である」とした。 長尾はその理由として、「現実の要素が法解釈に影響を与える『立法事実の原則』からも、部分的許容説は誤りである」「国家解体に向かう最大限に危険な法律を制定しようというのは、単なる憲法違反では済まない」と再主張した。 自身が学説を紹介したことで外国人参政権付与が勢いづいたことに関しては「私の読みが浅かった。慚愧(ざんき)に堪えない」と謝罪した。 元来、「部分的許容説」は、ドイツの学会において少数説であったものを長尾教授が輸入した学説である。ドイツでは、1989年にハンブルク(8年以上滞在する「全ての外国人」に対して、7つの行政区における選挙権)とシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(5年以上滞在するデンマーク人・スウェーデン人・ノルウェー人・アイルランド人・オランダ人に対する選挙権)が、それぞれ外国人に地方参政権を付与する法改正をなし、これが憲法訴訟に発展した。ドイツ連邦憲法裁判所は1990年10月にこの法改正を違憲とする判決を出した。こうして、ドイツでは「部分的許容説」は否定された。その後、「ヨーロッパ連合条約の批准」という要請に応じて1990年に憲法を改正。EU加盟国国民に限って地方参政権を認めた改憲を行った。これによって現憲法下のドイツにおいて「部分的許容説」は実務上の意味を失っている。
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