暗号コードSKMの入手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 07:09 UTC 版)
「ルーム40」の記事における「暗号コードSKMの入手」の解説
ルーム40で最初に突破口を開いたのは、ドイツの軽巡洋艦「マグデブルク」に積まれていた暗号コードSignalbuch der Kaiserlichen Marine(SKM)であった。ベーリング少将が指揮する駆逐艦の一団がフィンランド湾の偵察を行っていた際、軽巡洋艦マグデブルクとSMSアウグスブルクの2隻は濃霧により船団から離れ、マクデブルクはロシア支配下のエストニア沖のオスムサール島で座礁した。マクデブルクの艦長は船員の退艦後に艦を自沈させる準備をしていたが、霧が晴れ始め2隻のロシアの巡洋艦が接近し、発砲した。マクデブルクは機密書類が駆逐艦に移されるか廃棄される前に放棄され、艦長と乗組員57名がロシアに捕縛された。 その機密書類がその後どうなったのかは正確には分かっていない。マグデブルクには暗号文SKMのコピーを複数積んでおり、文書番号151は英国に渡された。ドイツ側の説明によると、機密書類の大半は船外に捨てられたが、英国側のコピーは無傷で、海図室で発見されたとされる。バルト海の格子状の海図、航海日誌、戦闘記録もすべて回収された。SKMの145番と974番はロシア軍によって保持されたが、防護巡洋艦「HMSテセウス」はイギリスに提供された文書を回収するためにスカパ・フローからアレクサンドロヴォスクに派遣された。テセウスは9月7日に到着したものの、混乱のため9月30日まで出発出来ず、10月10日にスカパ・フローに戻り、10月13日にこれらの文書は正式にウィンストン・チャーチルに引き渡された。 SKM自体は、暗号を解読する手段としては不完全であった。なぜなら、暗号文は通常、暗号化されていると同時に符号化されており、理解できるのはほとんどが天気予報であったからである。海軍情報部のドイツ語専門家であるC・J・E・ロッターは暗号コードSKMを使用して傍受した通信を解読する任務を与えられた。暗号解読の問題を解決するための手がかりはドイツのノルトダイヒ送信機から送信された一連の暗号文から見つかった。これらの文書はすべて順番に番号が付けられて暗号化されていた。この暗号は既に解読されていたものであり、最初に解読されてから数日後に変更されたため、実際には2度解読されたことになり、暗号文を解読するための一般的な手順が確立された。暗号化は、すべての文字を単純なテーブルによって別の文字に置き換える方法で行われていた。ロッターは10月中旬に作業を開始したが、暗号を解読した後11月まで他の暗号解読者とは距離を置いていた。 傍受された文書は同盟船の所在に関する諜報報告であることが判明した。これは興味深いことではあったが、重要ではなかった。ラッセル・クラークは、同様の暗号化された文書が短波で送信されていたものの、受信機器、特にアンテナの不備により傍受出来ていないことを確認した。ハンスタントンはこれまでの軍用通信の傍受を止め、代わりに試験的に短波を監視するように指示された。その結果、大洋艦隊の動きと貴重な海軍情報が得られ、ハンスタントンは海軍の通信傍受に戻され、軍にとって貴重な通信の傍受を停止した。新しいコードは完全に秘密にされていたため、軍を支援していた海軍の男性は、説明もなく海軍の通信傍受に取り組むこととなった。その結果、海軍と暗号解読部門との間で不協和音が生じ、両者の協調は1917年まで停止した。 SKM(ドイツ語の文書では SB と略されることもある)はドイツ艦隊による重要な行動中に通常使用されるコードである。イギリス海軍とドイツ海軍が使用していた通常の艦隊の信号から派生したもので、船舶間で送信するための信号旗や発光信号の単純な組み合わせで表現できる何千もの事前に定められた指示書があった。SKMには34,300の指示があり、それぞれが3文字の異なるグループで表されていた。これらの多くは昔ながらの海軍作戦を反映しており、航空機などの近代的な兵器については言及されていない。信号は通常のモールス信号には存在しない4つの記号(アルファ、ベータ、ガンマ、ローと呼ばれる)を使用していたため、傍受に関係するすべての者がそれらを認識し、標準化された方法で書き込むようになるまで、混乱が生じることがあった。船は、ベータ記号で始まる3文字のグループによって識別された。所定のリストに含まれないメッセージは、個々の文字の置換表を使用して表すことができる。 SKBのコードのサイズが非常に大きいことが簡単に変更できない理由の1つであり、SKBは1916年の夏まで使用され続け、完全に置き換えられたのは1917年5月であった。SKBのセキュリティに関する疑念は、ベーリングによって最初に提起された。ベーリングはマクデブルクの暗号文が解読されたかどうかは明確にわかっていないと報告したが、浅瀬で座礁した船からロシアに暗号コードを回収された可能性があるという調査結果を示した。バルト海作戦の最高司令官であるプロイセンのハインリヒ王子は、艦隊の最高司令官に宛てた書簡で、秘密の海図がロシアの手に渡ったのは確実であり、暗号コードブックと暗号キーも同様であると伝えた。この件に関するドイツの諜報報告書では、マグデブルクの暗号コード紛失は特に新しい安全なコードを導入するための措置がとられなかったために悲惨であったと結論づけている。
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