暗号コードHVBの入手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 07:09 UTC 版)
「ルーム40」の記事における「暗号コードHVBの入手」の解説
ドイツ海軍が使用していた2つ目の重要な暗号は、開戦直後にオーストラリアで捕捉されたが、10月末になってようやく海軍本部に到着した。ドイツとオーストラリアを結ぶ蒸気船「ホバート号」は、1914年8月11日にメルボルン近くのポート・フィリップ沖で拿捕された。ホバート号は戦争が勃発したという知らせを受けておらず、J・T・リチャードソン船長と乗組員は検疫団体であると主張していた。ホバートの乗組員は船内の移動を許されたが、船長は注意深く監視されており、真夜中になって彼は隠された書類を処分しようとした。奪取したHandelsverkehrsbuch(HVB)の暗号コードには、ドイツ海軍が商船や大洋艦隊との通信に使用したコードが含まれていた。拿捕の知らせは9月9日までロンドンに伝えられなかった。コードはコピーが作成され最も速い船で輸送され、10月末に到着した。 HVBは元々、1913年に無線通信設備を備えたすべての軍艦、海軍司令部、海岸局に発行された。ドイツの蒸汽船会社18社の本社にも無線で自社の船に発行することが認められた。コードは、同じ意味の代替表現を可能にする45万の通りの4文字のグループと、有線で使用するための代替10文字グループが用いられた。特に巡視船などの小部隊や、出港・入港などの日常的な業務に使用された。このコードはUボートでも使われていたが、キーは更に複雑であった。しかし、長期間海上にいるUボートにとっては、コードが航行している間に変更され、古いキーを使用してメッセージを繰り返し送信し、新しいキーに関する情報を取得する必要があった。ドイツの諜報機関は1914年11月に、暗号コードHVBが敵の手に渡ったことを知っていた。それは、コードが危険にさらされたことを警告する無線メッセージが送信されたことからも分かるが、1916年まで置き換えられなかった。 HVBは、新しいキー生成方法とともに、1916年にAllgemeinefunkspruchbuch(AFB)に置き換えらた。イギリスは、実際のメッセージに導入される前に、テスト信号から新しいキーについて把握していた。新しいコードは、トルコ、ブルガリア、ロシアを含む以前のものよりも多くの部隊に発行された。最初に捕獲されたのは、撃墜されたツェッペリン号からだったが、他にも沈没したUボートから回収されている。
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