暗号の更新
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 05:13 UTC 版)
日本海軍は、1939年6月から使用を開始した「海軍暗号書D」の原本を1940年12月1日改編し、「一般乱数表第五号」はそのままで、1941年1月31日まで使用した。 その後、改編「暗号書D」は「一般乱数表第六号」を1941年2月1日から同年7月31日まで、引き続き「一般乱数表第七号」を1941年8月から同年12月3日まで使用した。この暗号で電文「新高山登レ一二〇八」は組立てられた。 そして開戦4日前の1941年12月4日より1942年5月27日までの6ヶ月近くまで「一般乱数表第八号」を使用した。ミッドウェー作戦出撃当日まで使用していたこの暗号が解読されていたため、作戦準備に追われて飛び交う機密電は、作戦計画や使用すべき戦術などを米側に暴露した。 5月28日から使用開始した「海軍暗号書D壱」と「一般乱数表第九号」は、本来5月1日を更新日としていたが、対米開戦以来急速に作戦地域が拡大したため、暗号書配布の面で無理があり、実施が予定より1ヶ月近く遅れた。暗号の配布計画実施及び整備は、海軍省官房所属の海軍文庫が行ったが、聯合艦隊主導の作戦計画に対応しきれず、この遅れがミッドウェー海戦の敗北につながった。 軍令部はミッドウェー作戦における暗号の被解読はないとしたものの、この敗北により一部暗号書の漂流の危惧があったので、情報用を除く全暗号書を更新した。
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