暗号事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 05:13 UTC 版)
米軍が1942年1月に撃沈した伊号124潜水艦から暗号書を引き揚げ、たちまち暗号解読の速度が上がったという話もあるが、現時点では、米豪海軍は回収できていなかったというのが定説である。。 1942年12月以降は、呂暗号書が全部隊で使用されることになった。これはD暗号が解読された可能性に対応したものではなく、ミッドウェー海戦で重巡洋艦「三隈」が放置され、その最後を確認したものがいなかったためである。1943年2月のガタルカナル島撤退作戦(ケ号作戦)が、米軍に撤退意図を気づかれることなく成功していることを見ても、この時期、日本軍の暗号の多くが解読されていたわけではない。
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