旧約聖書における記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 07:55 UTC 版)
「恩寵 (キリスト教)」の記事における「旧約聖書における記述」の解説
「恵み」(ヘブライ語でヘーン)の語彙は、ユダヤ教とキリスト教が正典とする旧約聖書にある。記述例としては 主、主、憐み深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾世代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。(出エジプト記 34章6〜7節、新共同訳聖書から) などがある。
※この「旧約聖書における記述」の解説は、「恩寵 (キリスト教)」の解説の一部です。
「旧約聖書における記述」を含む「恩寵 (キリスト教)」の記事については、「恩寵 (キリスト教)」の概要を参照ください。
旧約聖書における記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 08:03 UTC 版)
『旧約聖書』の『出エジプト記』によれば、モーセはイスラエル人(ここではヘブライ人と同じ意味)のレビ族の父アムラムと、アムラムにとって叔母にあたる母ヨケベドとの間に生まれ、兄アロンと姉ミリアムがいた。モーセが生まれた当時、ヘブライ人が増えすぎることを懸念したファラオはヘブライ人の男児を殺すよう命令した。出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、パピルスのかごに乗せてナイル川に流された。たまたま水浴びしていたファラオの王女が彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(ヘブライ語で「引き上げる」の意味)にちなんで「モーセ」と名づけた。モーセの姉の機転で、実の母親が乳母として王女に雇われることになった。 成長したモーセは、あるとき同胞であるヘブライ人がエジプト人に虐待されているのを見て、ヘブライ人を助けようとしたが、はからずもエジプト人を殺害してしまう。これが発覚し、ファラオに命を狙われたモーセは逃れてミディアンの地(アラビア半島)に住んだ。ミディアンではツィポラという羊飼いの女性と結婚し、羊飼いとして暮らしていたが、ある日「燃える柴」のなかから神に語り掛けられ、イスラエル人を約束の地(聖書中では「乳と蜜の流れる地」と言われている現在のパレスチナ周辺)へと導く使命を受ける。神は、みずからを「わたしはある者」と名乗り、イスラエルの民は代々יהוה(ヤハウェ)という名前で呼ぶようにと言った。 モーセはイスラエル人から『יהוה(ヤハウェ)はあなたに現れなかった』と言われた場合(つまり、預言者であることに疑義をとなえられた場合)に備え、3つのしるしを与えられた、とされる。「杖が蛇になる」「手が癩病(レプラ)で雪のように白くなる」「ナイル川の水が血に変わる」である。 エジプトに戻ったモーセは兄アロンとともにファラオに会いヘブライ人退去の許しを求め、前述のしるしの1つ「杖が蛇になる」を使って自分の杖を蛇にして見せたが、ファラオの配下の魔術師たちもその程度はできたのでファラオは驚かず、アロンの杖の蛇が他の蛇を食ってしまったことで一応勝ったものの、ファラオは拒絶し、許可を出さなかった。 そのためモーセは次のしるし「ナイル川の水が血に変わる」を使い、これを始めに十の災いがエジプトにくだり、最後にはファラオの息子を含めてすべてのエジプトの初子が無差別に殺害された。ファラオはここにいたってヘブライ人たちがエジプトから出ることを認めた。エジプト出発の夜、人々は神の指示通り、子羊の肉と酵母を入れないパン(=「タネなしパン」)を食べた。神はこの出来事を記念として行うよう命じた(これが今もユダヤ教徒が祝う「過越祭」の起源であり、聖書ではイエスの十字架上の死の予兆とされる)。ヘブライ人がエジプトを出ると、ファラオは心変わりして戦車と騎兵からなる軍勢を差し向けた。葦の海に追い詰められ、絶体絶命の状況に陥った。これに対し、奴隷的な状態のままであってもエジプトにいた方がよかったと不平をもらす者もいたが、モーセが手にもっていた杖を振り上げると、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができた、とされ、しかし後を追って葦の海を渡ろうとしたファラオの軍勢は海に沈んだ、とされる。 その後、モーセは民と共に苦しい荒れ野の旅を続ける。人々は水や食べ物のことでしばしばモーセに不平をいい、モーセはそのたびに水や食べ物を与えて神の力を示した。このとき、神から与えられたとされる、荒野で夜毎に現れる、まるで蜜入りのウェファースのような味の白い(謎の)食料を食べて民たちはしのぎ、人々はその(謎の)食料を「マナ」と呼んだ、とされる。やがて人々がシナイ山に近づくと、יהוה(ヤハウェ)が山上に現れ、モーセは山に登って十戒を受けた、とされる。さらに神はヘブライ人と契約を交わした、とも。『出エジプト記』のモーセに関する記述はこれで終わり、後半部(20章~40章)は守るべき掟と儀式に関する詳細な規定の記述に費やされている。 続く『レビ記』『民数記』『申命記』ではさらに詳細な律法の内容が語られ、その合間にモーセの生涯とヘブライ人たちの歩みとについて記している。モーセは石版を入れた『契約の箱』を先頭にシナイ山を出発し、約束の国を目指してカナンを進んだ。その途上では不平を言う民がいたり、モーセとアロンへの反逆が行われたりしたため、その行為を行った民を罰する為に神が炎の蛇を送り、多くの死者が出たりもした。民はモーセに謝罪、懇願し、それをみた神がモーセに青銅の蛇を示して民を救った出来事などがあった。人々はカナンの人々と戦いを繰り返し、アモリ人らを撃ち、全軍を滅ぼした。さらにミディアン人たちを撃つなど戦いを続けた。 モーセ五書の最終巻にあたる『申命記』ではモーセの最期が描かれている。メリバの泉で岩を打って水を出し、その後にもう一度水不足が訪れたときに岩に命じるようにとの命令であったのにもう一度岩を打ったため、約束の国に入ることを許されず、ヨルダン川の手前でピスガの頂ネボに登り、約束された国を目にしながらこの世を去った。120歳であった。モーセはモアブの谷に葬られたが、その場所は誰も知らないとされている。 モーセの死後、その従者であったヌンの子ヨシュア《יהוה(ヤハウェ)は救いの意味》が後継者となり、יהוה(ヤハウェ)の民を導いた。
※この「旧約聖書における記述」の解説は、「モーセ」の解説の一部です。
「旧約聖書における記述」を含む「モーセ」の記事については、「モーセ」の概要を参照ください。
- 旧約聖書における記述のページへのリンク