旧約聖書によるネヘミヤ
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ユダ王国のユダヤ人たちは、紀元前586年に新バビロニアによってエルサレムが陥落したあとバビロンに移される(バビロン捕囚)。その後紀元前539年、ペルシャによって新バビロニアが滅ぼされ、捕囚民のエルサレムへの帰還が許されるが、一部のユダヤ人は優遇され繁栄していたためにそのまま残る者も多かった。ハカルヤの息子であるネヘミヤも、アケメネス朝ペルシャの王であるアルタクセルクセス1世(在位465-424BC)の献酌官という名誉ある地位に就いていた。しかし、ある日エルサレムから尋ねて来た親戚の話に心を痛める。「かの州で捕囚を免れて生き残った者は大いなる悩みと、はずかしめのうちにあり、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼かれたままであります」(ネヘミヤ記1:3)。 紀元前445年、ネヘミヤはエルサレムに行く決意を固め、王の許可を取り付け、また多くの便宜をはかってもらい、総督として向かった。そして様々な妨害に会いながらも、52日でエルサレムの城壁を修復する。「またわたしは、ユダの地の総督に任ぜられた時から、すなわちアルタシャスタ王の第二十年から第三十二年まで、十二年の間、わたしもわたしの兄弟たちも、総督としての手当を受けなかった」(ネヘミヤ記5:14)。「わが神よ、トビヤ、サンバラテおよび女預言者ノアデヤならびにその他の預言者など、すべてわたしを恐れさせようとする者たちをおぼえて、彼らが行ったこれらのわざに報いてください。こうして城壁は五十二日を経て、エルルの月の二十五日に完成した」(ネヘミヤ記6:14-15)。 紀元前433年、ネヘミヤはペルシャに戻り再び王に仕える。しかしその後にユダヤ人の信仰が乱れたため、再びエルサレムに戻り様々な改革を行う。「その当時、わたしはエルサレムにいなかった。わたしはバビロンの王アルタシャスタの三十二年に王の所へ行ったが、しばらくたって王にいとまを請い、エルサレムに来て、エリアシブがトビヤのためにした悪事、すなわち彼のために神の宮の庭に一つのへやを備えたことを発見した」(ネヘミヤ記13:6-7)。
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