旧大名家の伯爵家
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叙爵内規は旧大名華族から伯爵になる者について「徳川旧三卿 旧中藩知事即チ現米五万石以上」と定めている。5万石以上の基準は表高や内高といった米穀の生産量ではなく、税収を差す現米(現高)である点に注意を要する。明治2年(1869年)2月15日に行政官が「今般、領地歳入の分御取調に付、元治元甲子より明治元戊辰迄五ヶ年平均致し(略)四月限り弁事へ差し出すべき旨、仰せいだされ候事」という沙汰を出しており、これにより各藩は元治元年(1864年)から明治元年(1868年)の5年間の平均租税収入を政府に申告した。その申告に基づき明治3年(1870年)に太政官は現米15万石以上を大藩・5万石以上を中藩・それ未満を小藩に分類した。それのことを指している。もちろんこの時点でこの分類が各大名家の爵位基準に使われることが想定されていたわけではなく、政府費用の各藩の負担の分担基準として各藩に申告させたものであり、それが1884年(明治17年)の叙爵内規の爵位基準にも流用されたものである。現米15万石以上は侯爵となるので、現米15万石未満から同5万石以上の旧大名家が伯爵である。具体的には以下の旧大名家が伯爵に叙された(一応表高も表記しておくが、表高は爵位には一切影響を及ぼさないので注意)。 旧御三卿 - 清水徳川家(1899年伯爵位返上1928年男爵)、田安徳川家、一橋徳川家 旧中藩知事 -阿部家(備後福山藩現米5万5583石(表高11万石))、有馬家(筑後久留米藩現米11万8819石(表高21万石))、井伊家(近江彦根藩現米9万4030石(表高20万石))、上杉家(出羽米沢藩現米6万190石(表高14万7248石))、小笠原家(豊前小倉藩現米8万8170石(表高15万石))、奥平家(豊前中津藩現米5万3000石(表高10万石))、酒井家(播磨姫路藩)、酒井家(出羽大泉藩現米6万9370石(表高12万石))、酒井家(若狭小浜藩現米5万5730石(表高10万3558石))、立花家(筑後柳河藩現米6万6890石(表高11万9600石))、伊達家(伊予宇和島藩現米5万2420石(表高10万石)。後侯爵)、伊達家(陸奥仙台藩現米6万7740石(表高28万石))、津軽家(陸奥弘前藩現米14万1345石(表高10万石))、藤堂家(伊勢津藩現米12万4270石(表高32万3950石))、戸田家(美濃大垣藩現米5万320石(表高10万石))、中川家(豊後岡藩現米5万2400石(表高7万440石))、南部家(陸奥盛岡藩現米6万8580石(表高13万石))、久松家(伊予松山藩現米11万748石(表高15万石))、堀田家(下総佐倉藩現米5万100石(表高11万石))、前田家(越中富山藩現米6万6010石(表高10万石))、松平家(越前福井藩現米11万1010石(表高32万石)。後侯爵)、松平家(出雲松江藩現米14万5340石(表高18万6000石))、松平家(上野前橋藩現米5万4450石(表高17万石))、松平家(讃岐高松藩現米10万5760石(表高12万石))、溝口家(越後新発田藩現米7万920石(表高10万石))、柳沢家(大和郡山藩現米5万9490石(表高15万1288石))、宗家(対馬厳原藩現米3万5413石(表高5万2174石))、松浦家(肥前平戸藩現米4万6410石(表高6万1700石)) 陞爵 - 大村家(肥前大村藩現米2万3060石(表高2万7294石))、亀井家(石見津和野藩現米3万753石(表高4万3000石))、真田家(信濃松代藩現米3万7150石(表高10万石))、島津家(日向佐土原藩現米1万8130石(表高2万7070石))、大給家(信濃龍岡藩現米5140石(表高1万6000石)) 平戸藩松浦家と対馬藩宗家は現米5万石以上の要件を満たしていないが、松浦詮は明治天皇の又従兄弟にあたるため、太政大臣三条実美の計らいで1870年(明治3年)に平戸藩に吸収されて廃藩した平戸新田藩の領地をあわせて5万石以上あったことにされて伯爵になった。宗家が伯爵になった理由は不明だが、この家は国主格だったため、他の国主大名が侯爵か伯爵になっている中、唯一の子爵家とすると宗家から不満が出そうだったので内規に基づかない特例措置で伯爵になったのではという推測がある(現に宗家は本来もらえない伯爵位すら不満があり、三条実美に侯爵位を要求する請願書を提出している)
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