日本盤の未発売騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:54 UTC 版)
「アリス・イン・チェインズ」の記事における「日本盤の未発売騒動」の解説
このアルバムの裏面のジャケットの表には3本足の犬が、そして裏面には3本の脚を有しサイドショー芸人としてサーカス等で活躍した人物の写真が起用され、これが日本のソニーレコードの自主規制に引っかかってしまった。ソニー側は日本盤のみジャケットを変えてリリースできないかバンド側に申し入れをおこなったが、「このアートワークは何よりアルバムを表現しているものだから」と拒否されてしまい、一時は日本盤発売の危機にさらされた。ソニーの当時の担当者も日本盤をなかなか出せない状況下でアルバムを聴く度に辛かったと話しているが、度重なる交渉と説得が功を奏し、アートワーク担当のキニーもやっと状況について納得してジャケットのデザイン変更を了承、本国でのリリースから一年遅れの1996年11月21日にAlice in Chainsの日本盤(アリス・イン・チェインズ)が発売となった。 日本では普通の店で日本盤を買うよりも、輸入盤を販売している店で購入したほうが安価にアルバムを手に入れられるとの情報をキニーは得ていたようだがそのことをアイネズも知っており、輸入盤のほうが安く手に入るのならそのまま(アルバムのジャケットを変更せず、日本盤未発売の状況)にしておこうということで納得していた。しかし日本の雑誌のインタビュアーが、輸入盤店がある大都市ならまだいいが地方はそうもいかない所が多い旨を伝えたところ、アイネズは真相を知ってショックを受けたようであった。 キニーは日本盤発売決定後におこなわれた日本の雑誌のインタビューで、重要なのは音楽なのでアルバムのアートワークの変更について妥協をし、また、本国での発売から一年が経ち、このアルバムが気持ちの中である程度完結したものになったためこの辺で折れてもいいかなと思ったと語っている。キニー本人はこのように述べているが、前のインタビューでアイネズが「日本盤が出ない状況をショーンもすごく残念がっていた」と話していると共に、実際にかなり気にしていたようで、日本の担当者は「日本盤を出せなくて本当にゴメン」と事あるごとにキニーから詫びを入れられていた。 実情としては日本盤の発売は担当者の努力が無ければ実現しなかったと言っても過言ではなく、1996年3月にアイネズがオジー・オズボーンのヘルプ・ベーシストとして来日した際に「輸入盤を買えない地域のファンが多くいること」、「日本盤が未発売だとプロモーションが一切できないこと」、そして「このままだと来日公演もおこなえないこと」を説明し、アイネズからキニーに伝えてもらう約束をした。その数ヶ月後に日本向けのインタビューの機会を得た際に、インタビュー終了後にキニーと話す時間をとってもらえるよう事前にマネージャーに依頼し、キニーとアイネズ、カントレル及びマネージャー同席のもと緊急会議が始まった。アートワークの変更についてキニーはこだわりがあったが、担当者が1時間に渡り熱意をぶつけ、そしてアイネズが担当者の味方となり日本の現状等をキニーに説明し、ようやくキニーから妥協案が出ることとなった。第1案は「実写がNGなら幼児が描いたような絵の"犬"と"人間"はどうか」というもので、それも駄目だった場合のために別案がないか訊いたところ「コンセプトは一切存在しない=白紙で、白紙にただアリス・イン・チェインズのロゴだけが押されているようなもの」との返答を得る。その後担当者が予想していた通り絵の案は通らなかったため白紙+ロゴになることになり、色や向きなどについてやり取りをして遂に日本盤のジャケットの完成へと至った。 1995年12月12日にThe Nona Tapesがホームビデオで発売された。内容はドキュメンタリー風フィクション番組仕立てで、カントレル扮するジャーナリストのNona Weisbaumがメンバーにインタビューをおこなっている模様と、「Grind」のミュージックビデオが収められている。Nona Weisbaumについては、カントレルが女性のような格好をしたいという希望で女装をすることになり、撮影日にステイリーが遅れて来たため周りの人々が女装したカントレルをプロデューサーのトビー・ライトの母親だと紹介したところ、ステイリーが気付かずに「初めまして…」と挨拶などをし始めたというエピソードが残っている。 「Got Me Wrong」がEPのSap発売後3年経ってからチャートインし、これは予期しない出来事であった。1994年の自主制作映画であるClerks(邦題:クラークス)のサウンドトラックのためにシングル版として再発売され、Mainstream Rock Tracksチャートで7位まで上り詰めた。メンバー達はAlice in Chainsを引っ提げてのツアーを開催しないことに決め、薬物乱用の噂が広まった。 アリス・イン・チェインズは1996年4月10日に全ての曲をアコースティックで演奏することを特色とする番組であるMTV Unpluggedのために2年半ぶりに公の場に姿を現した。曲目はチャートで上位になった「Rooster」、「Down in a Hole」、「Heaven Beside You」、「No Excuses」、そして「Would?」のようなシングル曲と、カントレルがリードボーカルをとった「Killer Is Me」が初めて披露された。このショーはセカンドギタリストとしてScott Olsonを加えた5人組のバンドとしてアリス・イン・チェインズが登場した唯一の回である。この時の模様を収録したライブアルバムであるUnpluggedは1996年7月にリリースされBillboard 200で初登場3位に、そしてホームビデオ版も発売され、両方ともアメリカレコード協会からプラチナム・ディスクの認定を受けている。 続いて1996年5月10日の『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』に出演し、「Again」及び「We Die Young」を演奏した。そしてキッスの1996/97 Alive/Worldwideツアーのサポートアクトを務めることが決まり、ミズーリ州カンザス市で1996年7月3日におこなわれたライブがステイリーの最後のライブ出演となった。コンサートが終了して間もなく、ステイリーはヘロインのオーバードースのため無反応の状態で発見され病院に搬送された。回復はしたもののバンドは活動休止に追い込まれた。
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