日本法人沿革
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1952年(昭和27年)1月 - 東京都豊島区に東京工場の建設を開始。 1953年(昭和28年)8月17日 - 武田薬品工業とアメリカンサイアナミッド社との折半出資より戦後初の第1号子会社「日本レダリー株式会社」設立。 1955年(昭和30年)10月 - 東京工場を東京都千代田区有楽町に移転。 1957年(昭和32年) - 「日本ワイス株式会社」設立。 1961年(昭和36年) - 旧:日本ワイス、中央製乳にて育児用ミルク「SMA」の製造開始。 1962年(昭和37年) - 旧:日本ワイス、日本で初めて母乳と同様乳糖100%にして、乳児にとって消化吸収しにくい牛乳脂肪を除去したミルクを発売。 1963年(昭和38年) - 旧:日本レダリー、設立10周年。東京工場及び本社機能がすべて埼玉県志木市に移転。 1967年(昭和42年) - 旧:日本ワイス、日本で初めてたんぱく質をより母乳たんぱく質に近づけ、ナトリウム量を母乳と同量に調節したミルクを発売。 1968年(昭和43年)5月 - 「エサンブトール合成工場」が建設。 1979年(昭和54年) - 工場内に研修棟を完成。 1980年(昭和55年) - 旧:日本ワイス、兵庫県に柏原工場(育児用調製粉乳製造工場)設立。 1981年(昭和56年) - 新包装工場棟を増設。 1988年(昭和63年) - 旧:日本ワイス、6ヶ月からの育児用調製粉乳「SMA フォロー6」を発売。 1989年(平成元年)7月 - 中央製乳での「SMA」生産が完了。 1991年(平成3年)10月 - 旧:日本ワイス、エーザイとの合弁会社ワイス・エーザイ設立。 1993年(平成5年) - ワイス・エーザイ、日本で初めてβ-カロテンを配合したミルクを発売。 1996年(平成8年)3月 - 旧:日本ワイス、エーザイとの提携解消。これに伴いエーザイの保有するワイス・エーザイ株の全てを同月1日付でAHPへ譲渡、同年5月に同社は旧:日本ワイスへ引き継がれた。低出生体重児用母乳代替食品を発売。 1997年(平成9年) - 旧:日本ワイス、日本で初めて母乳に含まれる主要な5種類のヌクレオチドを配合したミルクを発売。 1998年(平成10年)12月1日 - 旧:日本レダリーと旧:日本ワイスが合併し、「日本ワイスレダリー株式会社」に商号変更。 1999年(平成11年) - 旧:日本ワイス、粉乳部門をアドバンテッジ パートナーズに売却 2000年(平成12年)4月 - 旧:日本ワイス、アイクレオへ商号変更。 2001年(平成13年) - ホワイトホールジャパンコーポレーションを小林製薬に売却する。アイクレオは2月を以て日本国内における「SMA」事業を終え、10月より江崎グリコグループとなる。 2002年(平成14年) - 旧:日本ワイスレダリーのヘルスケア製品(大衆薬)を、武田薬品工業(タケダ)へ移管。 2003年(平成15年)12月1日 - 社名を「日本ワイスレダリー株式会社」から、「ワイス株式会社」へ商号変更。 2007年(平成19年) - 本社を東京都中央区京橋一丁目10番3号(服部ビル)から東京都品川区大崎一丁目2番2号へ移転。 2010年(平成22年)6月1日 - 当社とファイザーが合併し、新生「ファイザー株式会社」になった。
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