日本法学への貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 00:18 UTC 版)
「ギュスターヴ・エミール・ボアソナード」の記事における「日本法学への貢献」の解説
法学教育にも力を注ぎ、民法起草者の一人で「日本民法典の父」といわれる梅謙次郎(法政大学初代総理)、明治法律学校(現明治大学)の創設者岸本辰雄らに多大な影響を与え、弟子の宮城浩蔵は東洋のオルトランと呼ばれた。ちなみにオルトランはボアソナードの師である。司法省法学校で教鞭をとり、1881年5月に法政大学の前身である東京法学校の講師、1883年9月には東京法学校の教頭として着任。10年以上に渡り近代法学士養成と判事・免許代言士(現在の弁護士)養成に尽力し、法大の基礎を築いたため、法政大学の祖とされている。 また、明治法律学校では刑法、治罪法、自然法、相続法の講義を行い(通訳は杉村虎一)、東京大学法学部では旧民法の草案について講義するなど、日本の法学教育に大きく貢献した。 ボアソナードの講義について、加太邦憲は「以って自ずから秩序無く、時には横道に入り、遂には本道への戻り道を失することありて、到底初学の者には了解し難く」と述懐しておりボアソナード流の講義に慣れるまで苦労したともいわれている。また、ボアソナードは講義をするにあたって法律書など一切携行してくることはなく、前日の講義の末尾を学生に尋ねその続きを講義するといった形で講義をしていたと加太は記している。
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