日本国内の影響とは? わかりやすく解説

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日本国内の影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/19 13:04 UTC 版)

モスクワオリンピック」の記事における「日本国内の影響」の解説

種目によっては世界トップレベル大会への参加8年間の空白大きなマイナスに作用した団体競技影響 男子体操 - ローマオリンピックから続けた5連覇自動的に途絶えた金メダル奪回は、2004年アテネオリンピックにてようやく実現バレーボール - その後男女とも未だに金メダルの再獲得至っていない。 女子バスケットボール - モントリオールオリンピック以来2度目出場1996年アトランタオリンピックまで20年要した男子バスケットボール、同ホッケー女子ハンドボール - 自国開催2020年東京オリンピックまで出場獲得ならず。 個人競技影響 赤井英和 (ボクシング) - 補欠として代表の可能性残していたが、完全消滅その後大会出場し続けた後でプロ転向香月清人 (柔道) - 前年世界柔道選手権71kg級で優勝。代表が内定していたが、ボイコット契機一度現役引退その後大阪府警柔道師範として万余警察官指導坂本典男 (自転車競技) - 競輪転向ロサンゼルスオリンピック(以下、ロサンゼルス)では弟である坂本勉託し銅メダル獲得瀬古利彦 (マラソン) - その後ロサンゼルスソウルオリンピック(以下、ソウル)と2大会連続出場果たしたもののソウルで9位にとどまる。 高田裕司 (レスリング) - 現役引退。後に復帰しロサンゼルス銅メダル獲得長義和 (自転車競技) - 1977年日本競輪学校合格しながらも、それを辞退して大会にかけたもの出場叶わず。当時存在した競輪学校年齢制限24歳未満)のため、競輪選手への道も閉ざされたことから、このまま現役引退したその後回り空気読んで復帰して様々な大会出場津田真男 (ボートシングルスカル) - ほとんど一人の力で代表の座を勝ち取ったが、幻の出場終わったその後大会で開催されレガッタ常連となった長崎宏子 (水泳) - 当時11歳夏季五輪では初めての小学生五輪代表選手だったが幻に終わったその後ロサンゼルスソウル出場したが、いずれもメダル獲得果たせず。 藤猪省太(柔道) - 世界柔道選手権4回優勝実績者で、代表が内定していたもの出場叶わず。このまま現役引退し、現在まで指導者となった宮内輝和 (レスリング) - 大相撲転向谷津嘉章 (レスリング) - プロレス転向1986年復帰するオリンピック出場果たせず。 山下泰裕 (柔道) - 1984年ロサンゼルス金メダル獲得テレビ朝日 1977年社名変更に続く大改革だったオリンピック独占中継価値大暴落し、大きなダメージ負った。ただ、この中継の留守番予備軍として大量に採用したアナウンサー達から、現在フリーとなった古舘伊知郎南美希子佐々木正洋始め宮嶋泰子吉澤一彦渡辺宜嗣といった、現在でも現場で活躍するメンバー多く輩出された。 その後JOCの対応 不本意ながら政府ボイコット指示受け入れざるを得なかったJOCはその基盤強化必要性痛感し1989年日本体育協会から独立した財団法人化実現した

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日本国内の影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:06 UTC 版)

1980年モスクワオリンピック」の記事における「日本国内の影響」の解説

種目によっては、世界トップレベル大会への参加8年間の空白大きなマイナスに作用した団体競技影響 男子体操団体総合 - 1960年ローマオリンピックから1976年モントリオールオリンピック(以下モントリオール)まで続いた5連覇自動的に途絶え金メダル奪回2004年アテネオリンピックにて実現したバレーボール - その後男女とも未だに金メダルの再獲得には至っていない。 男子ハンドボール - 1984年ロサンゼルスオリンピック(以下、ロサンゼルス)、1988年ソウルオリンピック(以下、ソウル)と2大会連続出場を果たすも、モントリオールの9位には及ばずその後自国開催2020年東京オリンピック(以下、東京)まで33年出場途絶えた女子バスケットボール - ボイコット動き出していた最中世界予選出場敗退モントリオール以来2度目出場1996年アトランタオリンピックまで20年要した男子バスケットボール、同ホッケー女子ハンドボール - 自国開催東京まで出場獲得はならなかった。特に男子バスケットボール開催国枠も失う危機見舞われた。 個人競技影響 赤井英和 (ボクシング) - 補欠として代表の可能性残していたが完全消滅その後大学生身分のままプロに転向した。 石原敬士クレー射撃) - 1968年メキシコシティーオリンピック協会不祥事出場閉ざされ以来機会恵まれず念願代表選出だったが、これも幻に終わった2016年リオデジャネイロオリンピックでは、次女である石原奈央子(英語版)がオリンピック出場果たしたその後東京聖火ランナー内定しCOVID-19の影響による開催延期を経ながらも2021年ランナーとして参加延べ53年越し祈願オリンピック関係者となった香月清人 (柔道) - 前年世界柔道選手権71kg級で優勝。代表が内定していたがボイコット契機一度現役引退その後大阪府警柔道師範として警察官指導していたこともあった。 蒲池猛夫ライフル射撃) - 現役引退。後に復帰しロサンゼルスにて日本最年長記録金メダル獲得する2014年死去具志堅幸司体操競技) - ロサンゼルス出場し金メダル獲得坂本典男坂本勉 (自転車競技) - 自転車初の兄弟五輪代表選手となるはずだったが、幻に終わったその後、典男は競輪転向。勉はロサンゼルス日本自転車メダルとなる銅メダル獲得している。 瀬古利彦 (マラソン) - その後ロサンゼルスソウルと2大会連続出場果たしたものの、ソウルで9位にとどまった高田裕司 (レスリング) - 現役引退。後に復帰しロサンゼルス銅メダル獲得したが、「優勝した表彰台から金メダル投げていた」と後年語っている。 長義和 (自転車競技) - 1977年日本競輪学校合格しながらも、それを辞退して大会にかけたもの出場は叶わず。当時存在した競輪学校年齢制限24歳未満)のため競輪選手への道も閉ざされたことから、このまま現役退いた津田真男 (ボートシングルスカル) - ほとんど一人の力で代表の座を勝ち取ったが、幻の出場終わったその後国内各地レガッタ出場した長崎宏子 (水泳) - 当時11歳夏季五輪では初めての小学生五輪代表選手だったが幻に終わったその後ロサンゼルスソウル出場したが、いずれもメダル獲得果たせなかった。 藤猪省太 (柔道) - 世界柔道選手権4回優勝実績者で、代表が内定していたもの出場叶わず。その後指導者となり、2008年北京オリンピックでは審判員としてオリンピック舞台立った宮内輝和 (レスリング) - 大学中退し大相撲転向谷津嘉章 (レスリング) - プロレス転向1986年復帰するオリンピック出場果たせず。 山下泰裕 (柔道) - ボイコット決定ショックから翌日全日本体重別選骨折を追う不運重なるが、当時東海大学総長松前重義勧め現地観戦ロサンゼルス出場し金メダル獲得。現在は日本オリンピック委員会会長務める。 テレビ朝日 1977年社名変更に続く大改革だったオリンピック独占中継価値大暴落し、大きなダメージ負った。ただ、この中継の留守番予備軍として大量に採用したアナウンサー達から古舘伊知郎南美希子佐々木正洋宮嶋泰子吉澤一彦渡辺宜嗣といった、のちに活躍することになる局アナ多く輩出したその後JOCの対応 不本意ながら政府ボイコット指示受け入れざるを得なかったJOC政府文部省)から自立する形での組織基盤強化必要性痛感し1989年日本体育協会から独立財団法人としての活動を行うこととなった

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