日本の林業史とは? わかりやすく解説

日本の林業史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 14:16 UTC 版)

林業」の記事における「日本の林業史」の解説

日本では古代から木造建築をはじめ日用品隅々到るまで木製品使われており、必要な用材確保するため林業古くら行われていたと考えられているが、中世には寺社造営などに際して木材伐採命じた文書存在し当該期に確実に山林資源管理が行われていたと考えられている。 戦国期には戦国大名大名領国の成立に伴い材木伐採林産資源採取炭焼きや漆の採取鉱山経営狩猟など山における諸職人が領主権力に掌握され組織化し戦国大名本拠では居館中心に城下町形成され城郭普請寺社造営などこの時期には木材需要増加し山の民領主権力から用益権保証され領主の必要とする資源技術提供した。なお、材木伐採製材関わる職人呼称は「山造」など地域によって様々なものがある。 現在の鳥取県八頭郡智頭町には慶長年間1596年1615年)に造林されたというスギ人工林存在する江戸時代に入ると、江戸幕府や藩によって御林設定された。御林明治維新後に新政府引き継がれ現在の国有林原型となった戦時中には乱伐により山林荒廃し戦後復旧造林が行われた。昭和30年代には高度経済成長に伴い林業振興され、燃料消費構造変革により利用価値小さくなった薪炭林老齢過熟の天然林生産性の高いスギ・ヒノキなどの人工林転換される拡大造林や、奥地開発が行われた。1956年昭和31年)には森林開発公団発足し1964年昭和39年)には林業生産増大定めた森林・林業基本法制定されている。 また、チェーンソーや集運材機など高性能林業機械林地除草剤普及による技術革新伐採集材地ごしらえ下草刈りなどの省力化図られ素材生産量は飛躍的に増大し優良選別して育成する品種改良行われた1950年代には燃料消費変化木炭消費量減少し原木から製炭を行う山村過疎化招いたが、一方で同じ原木から生産するきのこ栽培普及した外材輸入それまで国産材不足分を補うための位置づけであったが、昭和40年代には石油に次ぐ輸入量となり、安い外材増加による木材価格低迷加え山村過疎高齢化労賃高騰などの影響を受け、日本の林業打撃を受け衰退一途たどった一方で昭和40年代には都市環境過密化公害問題発生から森林公益的機能への関心高まり環境保全運動高まった昭和40年代後半には土地ブームゴルフ場開発なども多発し自然保護団体反対運動なども行われた日本の林業1980年代から1990年代にかけて非常に衰退し建築基準法の改定などに対応した品質製材品を供給できないことから国産材住宅メーカー敬遠されるようになり、日本の住宅多く北欧などの輸入材で建てられるようになった。山には拡大造林政策により植えられ大量のスギ・ヒノキが取り残されスギ花粉症原因として林業槍玉上がった

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「日本の林業史」を含む「林業」の記事については、「林業」の概要を参照ください。

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