国の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:08 UTC 版)
弥生時代の後半から、朝鮮半島との交流が活発になる。北部九州と朝鮮半島南部では海人族が沿岸や島々で活動しており、権力者は海民を通して青銅器や鉄器を入手した。弥生時代には、丸木舟に代わって準構造船の船団で航海が可能になり、運搬する物資も増えていった。海村のネットワークにより海路が緊密になり、国々が成立した。大陸からの進出もあり、前漢の武帝は衛氏朝鮮を滅ぼして楽浪郡を建設して、漢の制度にもとづく地域となった。楽浪郡では土器、青銅器、鉄器が生産されて、中国各地からの物産も集まった。高句麗に征服されるまでは、楽浪郡から中国製の器物が朝鮮半島や倭国に流通して技術も伝わっていった。日本と朝鮮半島をつなぐルートは、洛東江の狗邪国と、北部九州の奴国や伊都国が結びついた。狗邪国から壱岐、対馬を経由して北部九州に着くルートが『魏志倭人伝』に書かれている。邪馬台国の時代には、一大率という役職が伊都国に派遣されていた。
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