日本における尊号とは? わかりやすく解説

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日本における尊号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 14:37 UTC 版)

尊号」の記事における「日本における尊号」の解説

日本において尊号は主に天皇及び皇族尊称及び諡号を指すのが一般的である。天皇及び皇后尊称及び追号諡号を贈る場合太上天皇皇太后太皇太后称号を指す場合もある。日本では758年(天平宝字2年)に、朝廷孝謙天皇に宝字称徳皇帝尊号贈り光明皇后天平応真仁正皇太后尊号贈り、さらに聖武天皇に対して、漢風諡の勝宝感神聖武皇帝尊号を、国風諡として天璽開豊佐倉彦尊の尊号贈ったのが初見である。また、天皇号追尊した初例としては天平宝字2年758年)、淳仁天皇時代に、かつて天武天皇皇太子冊立されながら病のため薨御した草壁皇子岡宮御宇天皇尊号が、天平宝字3年759年)には舎人親王淳仁天皇皇考、即ち天皇実父たることをもって崇道尽敬皇帝尊号贈られた。 天智天皇皇子である志貴皇子自身第六王子 白壁王光仁天皇として即位したに伴い春日宮天皇の号が贈られた。また、桓武天皇皇太弟であった早良親王藤原種継暗殺嫌疑連座して廃され無実訴えるために断食して憤死すると、その後、兄桓武天皇皇儲となった平城天皇発病桓武天皇妃嬪 藤原旅子藤原乙牟漏坂上又子病死桓武天皇早良親王生母高野新笠病死天災頻発など、様々な災難畿内一帯起きたため、これを早良親王祟りとした朝廷延暦19年800年)、早良親王にかつての嫌疑除き崇道天皇尊号贈られた。 歴代天皇の中で初め太上天皇尊号初めに贈られたのは、持統天皇であったが、その後寛仁元年(1017年)8月9日三条天皇第一皇子皇太子であった敦明親王がときの左大臣藤原道長のために皇太子の位を辞退させられると、道長計らいにより、小一条院院号贈られるなど、平安時代以降となると天皇列していない皇族に対して准太上天皇処遇贈られる例が見られるようになったその後鎌倉時代には、承久3年(1221年)、後鳥羽上皇幕府から政治実権取り戻すべく、北条義時追討院宣発し幕府方との合戦敗れると、後鳥羽上皇順徳上皇土御門上皇は自らの意向で)が配流され、また、仲恭天皇廃位となったこのため次なる皇位には高倉天皇第二皇子 行助入道親王第三王子 茂仁王が擁立され、後堀河天皇となったため、天皇実父たる入道親王は、治天の君として院政を行うこととなり、朝廷から後高倉院院号贈られることになったその後室町時代には、応永15年(1408年)5月6日室町幕府三代将軍足利義満に対して太上法皇尊号贈られようとしたが、その世子四代将軍足利義持辞退により、これは沙汰やみとなった文安4年1447年)には世襲親王家のひとつ伏見宮家貞成親王後崇光院院号贈られたが、これは時の後花園天皇実父たるをもって追尊であった。しかし、翌5年1448年)に親王院号辞退している。 また、江戸時代に入ると、光格天皇実父閑院宮典仁親王太上天皇尊号贈ろうとし、江戸幕府反対受けて論争に至る、尊号一件という事件にも発展した。この折は尊号追尊沙汰やみとなったが、明治17年(1884年)、になり、明治天皇高祖父にあたるという理由から、典仁親王慶光天皇尊号贈られた。

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