妃
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妃(ひ)は、後宮における后妃の身分の一つ。妃子、嬪妃ともいう。
- ^ “親王妃の「妃」を「きさき」と呼称することについて”. 宮内庁 (2016年11月21日). 2023年2月15日閲覧。
- ^ なお、岸俊男はこれをもって妃よりも上位の格式である皇后の要件を皇族に限定する根拠の1つとするが、それは拡大解釈で、妃の要件から律令法による法的な規定のない皇后の要件を求めるべきではないとする河内祥輔の反論がある。
- ^ 妃が置かれた場合、妃が生んだ皇子の方が藤原氏など貴族出身の后の生んだ皇子よりも天皇との血縁関係が深くなり、前者の方が皇位継承に有利となる。
- ^ 穏子入内及び女御擁立の実現には為子内親王の死去と昌泰の変による宇多上皇派排斥を要したと考えられている。
- ^ 「妃の宮考」(小松登美、「跡見学園短期大学紀要」7・8集、1971年)
妃嬪
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身分名称氏族生没年親備考正室 献敬王后 豊山洪氏 1735年-1815年 永豊府院君 翼靖公 洪鳳漢 第14代国王宣祖と仁穆王后夫妻の血を引く。第22代国王正祖の実母。 側室 粛嬪林氏 不詳 生年不詳-1773年 不詳 第25代国王哲宗の実の曾祖母。女官出身で世子の寵愛を受け懐妊し、良媛に封じられた。夫の死後、宮中から追放され号を剥奪されたが、正祖の命令で復活する。死後の1899年(高宗36年)に高宗の命令で粛嬪と追号された。 側室 景嬪朴氏 不詳 生年不詳-1762年 不詳 世子の義理の祖母の仁元王后(祖父の第19代国王粛宗の3番目の王妃)に仕えた女官であった。法律上、目上の人の物(仕えている者も含む)に許可無く手を出すことは禁じられていたので、父の英祖の怒りを買った。当初、守則になるが女官身分の扱いであった。しかし精神病を患っていた世子によって殴殺された。1899年に高宗の命令で貴人に封じられ、1901年に景嬪と追号された。 側室 守則李氏 不詳 生没年不詳 不詳 後に正祖より貞烈の称号を与えられた。
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