政権交代後に発足したグループ
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「民進党の派閥」の記事における「政権交代後に発足したグループ」の解説
2009年の政権交代後、鳩山政権下ではグループの形成の動きは特になかったが、翌2010年の菅政権成立後には、中堅・若手議員らにより多くのグループが形成されている。2010年のうちに、6月の代表選における樽床支持派を中心に樽床グループ が結成された一方、非主流派に転じた鳩山グループから小沢鋭仁グループ・平野グループ が自立し、独自の活動を開始した。2011年に入ると菅おろしが本格化し、中堅の有力議員を担ぐ形で原口グループ・玄葉グループ が結成された他、若手・新人議員らによるグループの結成も相次いだ。さらに、同年8月の代表選における鹿野支持派を中心に鹿野グループ が結成された。この内、樽床グループ・小沢鋭仁グループ・平野グループ・原口グループは、その構成から比較的小沢グループに近いとされていた。野田政権成立後、2012年に入ると消費増税法案への賛否をめぐって党内対立が激化し、7月に小沢グループの多くが民主党を離党して国民の生活が第一を結党した一方、9月の代表選における赤松支持派を中心に赤松グループが結成され、10月には細野グループが結成された。しかし、同年12月の第46回衆議院議員総選挙で民主党は惨敗して下野し、多くのグループが衰退した。 なおこの間、これらのグループの他に、個別的政策に焦点を絞った主張を掲げるグループも形成されている。2010年の菅政権下では、韓国併合に関する菅談話に批判的な保守派議員らにより、松原仁を中心とする日本国研究会が結成された。2011年の野田政権成立後には、馬淵澄夫を中心とする原子力バックエンド問題勉強会、小沢鋭仁と馬淵を中心とする円高・欧州危機等対応研究会が結成された。 2014年には、1998年の民主党発足以降に初当選した「第3世代」 を中心に動きがあり、保守系が長島グループを結成したほか、一時期は細野グループが結束を強化する形で細野派に改組された。 政権交代後に発足したグループは以下のとおり。中心議員等の情報は民主党時代のものを示す。中心人物の太字はグループのリーダー経験者を表す。備考欄では必要に応じグループをGと略す。 2021年11月現在、立憲民主党のグループとして活動しているグループ 代表者の顔名称・通称中心議員備考 21世紀国家ビジョン研究会小沢鋭仁グループ 小沢鋭仁五十嵐文彦糸川正晃初鹿明博 小沢鋭仁を支持する中堅・若手議員らで構成された中間派グループ小沢G・鳩山G出身議員を中心とする鳩山由紀夫の政界引退に伴って結成された2012年総選挙における小沢鋭仁の日本維新の会参加に伴い消滅 青山会樽床グループ 樽床伸二松本剛明三井辨雄 2010年6月代表選で樽床を支持した中堅・若手議員らで構成された中間派グループ小沢G・鳩山G出身議員を中心とする2012年総選挙における樽床の落選により議員グループとして消滅し、2020年12月に解散した。 雄志会平野グループ 平野博文松原仁小泉俊明 平野を支持する中堅・若手議員らで構成された中間派グループ小沢G・鳩山G出身議員を中心とする平野の2012年総選挙落選に伴い消滅 日本維新・V-democrats原口グループ 原口一博中塚一宏 原口を支持する中堅・若手議員らで構成された超党派グループ小沢G・鳩山G出身議員を中心とする構成するほとんどの議員の2012年総選挙落選により消滅 「日本のグランド・デザイン」研究会玄葉グループ 玄葉光一郎山口壮平野達男大串博志 玄葉を支持する議員らで構成された中間派グループ小沢G・菅G出身議員などが混在した2017年総選挙時に消滅。 馬淵組馬淵グループ 馬淵澄夫大西健介 2011年民主党代表選挙、馬淵澄夫氏を支援した10~20人で結成された中道保守グループ 国益を考える会 吉良州司長島昭久 若手議員らで構成された保守派グループ後に国軸の会につながる メロスネット 津島恭一城井崇 若手議員らで構成された中間派グループ津島と城井が2012年総選挙で落選し、空中分解に終わる 礎会 石津政雄森本和義 2009年初当選の新人議員らで構成された中間派グループ石津を含むメンバーのほとんどが2012年総選挙で落選し、消滅 素交会旧大畠グループ 鹿野道彦大畠章宏大島敦中山義活増子輝彦篠原孝 2011年代表選で鹿野を支持した中堅議員・農水系議員らで構成されたグループ結成時は羽田G・菅G出身議員などが混在した大畠の引退に伴い、会長に就任した大島がグループを率いる。2018年2月解散。 真の一体改革を実現する一期生の会福田グループ 福田衣里子熊田篤嗣 三党合意に基づく消費増税法案の衆院採決で造反した新人議員らで構成されたグループ2012年総選挙で衆議院議員が全員落選し、壊滅 国軸の会旧長島グループ 長島昭久鷲尾英一郎吉良州司北神圭朗 長島を中心とする議員らで構成された保守派グループ1998年の民主党発足以降に初当選した「第3世代」で構成される長島を含むメンバーのほとんどが希望の党に参加したことで消滅。 自誓会階グループ 細野豪志黄川田徹階猛伴野豊笠浩史津村啓介 細野を中心とする議員らで構成されたグループ1998年の民主党発足以降に初当選した「第3世代」で構成される2017年衆院選後、細野を除き、希望の党に合流したメンバーで現在、立憲民主党の政策グループとして活動を継続。 注 ^ 2012年11月に民主党除籍。その後の所属は日本維新の会→維新の党→無所属→改革結集の会→おおさか維新の会→日本維新の会→希望の党。 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 元職の国会議員。 ^ 2012年11月に民主党除籍。その後の所属はみどりの風→日本未来の党→みどりの風→維新の党→民進党(旧維新の党グループ→松野グループ)→立憲民主党→無所属。 ^ 2016年4月に民進党離党。その後の所属は無所属→希望の党→無所属。2018年12月に北川知克が死去したことに伴う2019年4月の補欠選に出馬するため議員辞職したが、日本維新の会公認の藤田文武に敗れ落選。そのため、現在は元職の国会議員となっている。 ^ 2015年11月に民主党離党。その後の所属は無所属(所属会派は「自由民主党・無所属の会」)→自由民主党。 ^ 2017年10月に民進党籍を保持したまま衆議院会派「無所属の会」に参加。2018年5月に旧国民民主党に参加し、2020年9月の合流による立憲民主党に入党。 ^ 2017年9月に民進党除籍。その後の所属は希望の党(結党メンバー)→無所属(所属会派は「無所属会派→社会保障を立て直す国民会議」)→立憲民主党。 ^ 2012年8月に民主党除籍。その後の所属は減税日本→減税日本・反TPP・脱原発を実現する党→日本未来の党→無所属→希望の党。 ^ 2017年10月に希望の党合流に際して民進党を離党するも、後に公認辞退により離党を撤回。2017年衆院選後に民進党籍を保持したまま衆議院会派「無所属の会」に参加。2018年5月に旧国民民主党に参加。2020年9月に立憲民主党に入党。 ^ 2018年5月に民進党離党。その後の所属は無所属(所属会派は「無所属の会→社会保障を立て直す国民会議」)→立憲民主党 ^ 2014年2月に民主党除籍。その後の所属は無所属→自由民主党(二階派)。民主党政権時代は閣僚の経験はなかったが、2021年10月発足の岸田内閣で初入閣。 ^ 2013年4月に民主党除籍。その後の所属は無所属→自由民主党(二階派)。 ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。その後は無所属(所属会派は「無所属の会」→「立憲民主党・無所属フォーラム」)を経て2019年9月に旧立憲民主党に入党。 ^ a b 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に旧国民民主党に参加したが、2020年9月の合流に参加せず無所属となる。(所属会派は「立憲民主党・社民・無所属」) ^ a b 2017年4月に民進党除籍。その後の所属は希望の党(結党メンバー)→無所属(未来日本)→自由民主党(無派閥→二階派)。 ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に旧国民民主党に参加。2020年9月に立憲民主党に入党。 ^ 2017年10月に希望の党に合流。 ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に旧国民民主党に参加。2020年9月に立憲民主党に入党。 ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に旧国民民主党に参加。2020年9月に立憲民主党に入党。 ^ 2018年5月に旧国民民主党に参加。2020年9月の合流に参加せず無所属となる。(無会派→自由民主党・国民の声) ^ 2017年10月に希望の党合流に際して民進党を離党するも、後に公認辞退により離党を撤回。2017年衆院選後に民進党籍を保持したまま衆議院会派「無所属の会」に参加。2018年5月に旧国民民主党に参加。2020年9月に立憲民主党に入党。 ^ 2012年10月に民主党除籍。その後の所属は減税日本→日本未来の党→無所属→自由民主党。 ^ 2017年10月に民進党離党。その後の所属は無所属→自由民主党(二階派)。 ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に旧国民民主党に不参加。その後の所属は無所属(一丸の会)。 ^ 2017年8月に民進党離党。その後の所属は希望の党(結党メンバー)→無所属(自由民主党・無所属の会)。 ^ 2019年5月に国民民主党離党。その後の所属は立憲民主党。 ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に旧国民民主党に参加するが、2019年5月に離党。社会保障を立て直す国民会議を経て2020年9月に立憲民主党に入党。 ^ 2017年9月に民進党除籍。その後の所属は希望の党(結党メンバー)→無所属(未来日本→無会派→立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム→立憲民主党・社民・無所属)→立憲民主党。 ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に旧国民民主党に参加。2020年9月に立憲民主党に入党。 ^ 結成以来、他の党内グループとの掛け持ちを禁止し、政治資金パーティーで集めた政治資金をメンバーに分配するなど、細野派として党内初の派閥として活動してきたが、2017年5月の細野の会長辞任以降は勉強会に近い緩やかな政策グループとなり、政治資金パーティーの年次開催も当面停止となった。細野の民進党離党後、政治団体としては解散したが、議員グループとしては存続することとなった。
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