政治団体として
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1998年(平成10年)の第18回参議院議員通常選挙では選挙前に猪木が党首を辞任。女子プロレスラーの堀田祐美子、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}韓国・中国からの帰化人[要出典]などを擁立するが全員落選。7月17日に政治資金規正法上の政党要件も喪失した。また、この選挙では独自擁立だけでなく推薦も積極的に実施していたが、定数3の選挙区で4名の候補に推薦を出す失態も起こす(他党では自民も宮城で候補者調整に失敗し定数2に公認1、推薦2を立てた)。沖縄県選挙区では現職で沖縄社会大衆党委員長の島袋宗康を推薦し当選。同年の沖縄県知事選では、保守系の稲嶺恵一を推薦し、当選した。 2001年(平成13年)の第19回参議院議員通常選挙では党公認候補を立てず、自由連合と連携しスポーツ平和党最高顧問の相良寿一(猪木の実兄)や事務局長の持田哲也、堀田らを自由連合から擁立した。沖縄選挙区では無所属(国会では社民党と院内会派)の照屋寛徳を推薦したが、いずれも落選。2004年(平成16年)4月1日以降は、政治資金規正法第17条第2項により、政治活動(選挙運動を含む)のために寄附を受け、または支出をすることができない団体となった。2006年(平成18年)6月18日に政治団体を解散した。 ウェブサイトを公開していたが、ウェブスペース使用料が未払いであるとして、サイトに業者のアルファウイングの抗議文が掲載される事態となっていた。しかし、支払いのないまま強制閉鎖された模様。2001年(平成13年)に新たな公式サイトを公開したが、こちらも2007年(平成19年)3月中旬に閉鎖された。 なお、猪木自身はのち2013年(平成25年)7月、第23回参議院議員通常選挙に比例代表区で日本維新の会から出馬して当選し、 2019年(令和元年)7月まで参議院議員を務めた。
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