手宮の「文字」
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1866年(慶応2年)に発見された手宮洞窟の岩絵を文字とする説もある。この彫刻は小樽市にある続縄文時代の遺跡であり、1921年(大正10年)には国の史跡に指定されている。1878年(明治11年)に榎本武揚や開拓使の大書記官山内堤雲、考古学者のジョン・ミルンによる調査が行われて以降、広く知られるようになった。 この手宮の彫刻は古く「ジンダイモジ」(ジンダイ文字)、「アイヌ文字」、「アイヌ古代文字」、「奇形文字」のように称されていたが、後述の中目の説が広まって以降は主に「古代文字」と呼ばれるようになった。吾郷清彦は「手宮古字」と称している。宮沢賢治の詩「雲とはんのき」(詩集『春と修羅』に掲載)の中には「手宮文字」として登場するほか、鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」や北原ミレイの「石狩挽歌」(小樽市出身のなかにし礼が作詞)、三波春夫の「おたる潮音頭」といったいわゆるご当地ソングにもそれぞれ「古代の文字」、「古代文字」、「手宮の文字」として歌われている。 考古学者の鳥居龍蔵は1913年(大正2年)10月の『歴史地理』第22巻第4号に「北海道手宮の彫刻文字に就て」を投稿している。この中で鳥居は、手宮の彫刻は突厥文字であると主張し、靺鞨の用いたツングース系の言語を記したものである可能性を示唆している。さらに言語学者の中目覚は、1918年(大正7年)2月の『尚古』第71号に「我国に保存せられたる古代土耳其文字」を投稿し、手宮の「古代文字」を解読したと主張している。中目はこの彫刻を突厥文字とする鳥居の説を支持し、靺鞨の言語で「……我は部下をひきゐ、おほうみを渡り……たたかひ……此洞穴にいりたり……」と解読した。また同月の『小樽新聞』において中目は、『日本書紀』に見える阿倍比羅夫と戦った粛慎とは靺鞨人のことであり、この戦いによって死亡した靺鞨人の族長を埋葬したのが手宮洞窟の遺跡であると主張している。 一方郷土史研究家の朝枝文裕は、1944年(昭和19年)に『小樽古代文字』を著し、手宮の彫刻を古代中国の漢字とする説を唱えた。朝枝はこの彫刻を、約三千年前に古代中国の王朝である周の人々によって記されたものとしている。その内容については、周から遠征のために派遣された船団がこの地を訪れたが、そこで船団の指導者である「帝」が死亡したため葬り、その後重大な変事が発生したため血祭りの儀式を執り行った旨を記したものであると解読している。さらに朝枝は、古代中国の王朝である殷や周から派遣された船が、卜占に用いる鹿の角を求めてしばしば北海道を訪れたと主張している。 なお朝枝(1972)において同系の文字とされたものが、ほかに3点存在する。朝枝はいずれも死者のために行った祭事を古代の漢字で記したものとしている。 朝枝が文字としている彫刻の名称 解説 富岡古代文字石3行に渡り黒色の12字を記す。1909年(明治42年)6月2日、小樽市稲穂町(のちの富岡町)にて出土。朝枝は、二千数百年前の漢字であるとしている。また東洋史学者の白鳥庫吉は契丹か女真の墓標とする説を唱えている。一方で小樽高等商業学校の教授である西田彰三は、和人が篆書体の漢字を記したものであり古代の文字ではないとしている。西田によるとカムイコタンの岩壁にも「古代文字」と称される同様の彫刻があり、これも古代のものではないとしている。 忍路古代文字石1919年(大正8年)頃、忍路にて出土。朝枝は三千数百年前の漢字としている。東北大学考古学研究室の所蔵品。 泊絵文字石1934年(昭和9年)8月14日、古宇郡泊村にて発見される。朝枝は約四千年前の漢字としている。北海道大学総合博物館の所蔵品。 また神代文字の研究者である相馬龍夫は、1978年(昭和53年)に『解読日本古代文字』を著し独自の説を唱えている。相馬は手宮の彫刻について、百済系民族によって北陸地方を追われた勢力に属する人々の記した文字であり、その内容を訳すと以下のようになると主張している。なお宇ノ気、能登、加賀、鹿島、邑知、野野、羽咋、輪島はいずれも現在の石川県にあたる地域の地名である。 敵を討て。洞窟に入ったのは、根拠地とするためである。武力を貯えよ。我等の神は、必ずや敵を撃ち殺してくれるぞ。 — 相馬龍夫、『解読日本古代文字』21頁より 討て!あの宇ノ気、能登地と加賀の鹿島邑知(おうち)、加賀の野野と加賀。関所要所をつぶし分断せよ。占領されている 敵加賀 衝き、畜生奴らが占領している羽咋(はくい)輪島につながる良き地にたむろする奴等を射抜け、焼き討ちにせよ。海につき出た能登、なんともすばらしい我等が故郷(ふるさと) 加賀野の宇ノ気 野野 加賀。 — 相馬龍夫、『解読日本古代文字』22頁より
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