戦前の歴史
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1887年(明治20年)には上村杢左衛門によって福江港~名古屋港を結ぶ定期航路が開拓され、福江は三河湾に臨む港町として発展した。これ以前の天保年間(1830年~1843年)には井筒萬(現在の井筒楼)が創業している。1919年(大正8年)頃、ある旅館の一角に小料理屋の角上が開店した。1926年(昭和元年)には角上を発展させて旅館の角上楼が創業し、1936年(昭和11年)には現在の本館が建築された。 1901年(明治34年)には渥美半島の先端部に大日本帝国陸軍の伊良湖試験場が設置され、半島には多くの陸軍関係者が居住していた。角上楼は陸軍関係者御用達となり、太平洋戦争中には離れを増築してダンスホールを設置した。
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戦前の歴史
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「イングリッシュ・レーシング・オートモビルズ」の記事における「戦前の歴史」の解説
ERAは1933年11月にハンフリー・クック、レイモンド・メイズ、ピーター・ベルトンによって設立された。拠点はリンカンシャー州ボーンのイーストゲートロードとスポルディングロードの間にあったメイズの自宅、イーストゲート・ハウスの隣に置かれた。彼らの野望は、欧州大陸のレース界でイギリスの威信を守ることのできるシングルシーターのレーシングカーチームを作り上げることであった。 完全なグランプリ・レース仕様でレーシングカーを製造するのはあまりにもコストが高かったため、ERAは代わりに小型で1,500ccのスーパーチャージャーを搭載するヴォワチュレット(当時のグレードでフォーミュラ2に相当する)クラスに注力することにした。ハンフリー・クックがロンドンのセント・ポールズ・チャーチヤードに所在していた家業の服地会社Cook, Son & Co.の利益からERAの活動資金を提供し、ピーター・ベルトンが車の全体的な設計を担当する一方、レイモンド・メイズがメインのパイロットとなった。メイズは過去にボクスホールやブガッティ、ライレーを含むいくつかの車で結果を出していた。 シャシーはイギリス人デザイナーのリード・レイルトン(マルコム・キャンベルが操縦して陸上の速度記録を達成したブルーバードの設計も担当)が新規に設計し、ブルックランズのトムソン・アンド・テイラーで製作された。エンジンは性能に定評のあるライレー製6気筒を元にして多くの改良が施された物が搭載された。ハイアット製の大型センターローラーベアリングを備えた強化鍛造クランクシャフトが製造され、まったく新しいアルミニウム製シリンダーヘッドも設計された。エンジンには、以前にメイズ・アンド・ベルトンで「ホワイト・ライレー」の製造に関わったことのあるマレー・ジェイミソンが設計したオーダーメイドの過給機が用いられた。ERAエンジンは3種の排気量で設計された。ベースは1,500ccで、そのほかに1,100ccと拡大した2,000ccである。メタノールを燃料として駆動し、1,500ccエンジンは180-200bhp、2,000ccエンジンは250-275bhpの出力を実現した。 ERAの新シングルシーター車のボディワークは、パネル職人の兄弟ジョージとジャック・グレイが担当し、速度記録を打ち立てたマルコム・キャンベルの「ブルーバード」の車体を設計したとされるピアシー氏のデザインにならって手作業で仕上げた。 最初のERA製シャシーのR1Aが報道陣と公衆の前で公開されたのは1934年5月22日、ブルックランズでのことであり、それはシストン・パークでのテストの後であった。当初こそハンドリングのトラブルが判明し、多くの修正が必要となったものの、間もなくERAはレースでの勝利を挙げた。同年末までに、ERAは名だたるブランドを相手に顕著な勝利を挙げている。1935年、ニュルブルクリンクの大型大会でERAは1位、3位、4位、5位を獲得した。 1930年代の後半、ERAはチームにディック・シーマンを迎え、ヴォワチュレットのレースを支配した。 また、2人のシャムの王子チュラ・チャクラポンとビラ・ピーラポンが「ハヌマーン」、「ロームルス」、「レムス」の愛称で知られたERAの車体3台を駆使して有名になった。プリンス・チュラがチームのオーナーとなり、いとこでパイロットのプリンス・ビラに「ロームルス」を買い与え、ホワイトマウスガレージを拠点として自らのチームで活動した。 ERAのより近代的なマシンであるE型はちょうど第二次世界大戦の前に登場したが、開発は完成されていなかった。
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