戦前の業務活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 06:47 UTC 版)
創立当時、本社は現名古屋市西区の日本陶器社内に置かれていた。三社の所有する採掘権や原料山などは全て共立原料に集約された。 陶磁器の主原料の一つであるカオリンは安価で良質な朝鮮半島産のものが主流で、現在の韓国慶尚南道河東郡を中心に採掘権を所有していた。これに加えて翌1937年から国内の代表的な陶石産地である熊本県天草郡や、愛知県保見村(現・豊田市)で採掘権を獲得し、積極的に業務を拡大した。 一方、朝鮮で産出したカオリンを現地で水簸により精製する事は技術的に困難だったため、荷揚げする名古屋港に近い名古屋市港区築三町の土地を日東石膏とともに買収し、築地水簸工場を1937年3月に建設した。さらに岐阜県の土岐市や恵那郡でも粘土の水簸工場を建設・買収して生産能力を拡大した。また、森村財閥以外の企業への販売も積極的に進め、東洋耐火(現・クアーズテック)に白岩蝋石を納入するなどしている。このような中、現場との連絡を密接にするため1938年10月21日には本社を現在の港区築三町に移転した。
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