成立と運営委託とは? わかりやすく解説

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成立と運営委託

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 20:26 UTC 版)

満洲国国有鉄道」の記事における「成立と運営委託」の解説

その独立状態がしばらく続いた後、翌1933年2月9日鉄道全て国有とし、必要があれば接収するという「鉄道法」が公布され即日施行された。これに基づき同時に交通部は各鉄道会社接収するという訓令出して即日路線接収、ここに「満洲国有鉄道」が成立した。 しかしさらに同時に国有鉄道として接収後、即日その運営満鉄へと委託する旨が訓令続けて出された。つまり接収委託という手続取ったわけであり、満洲国交通部一度自前国有鉄道運営を行うことなく満鉄現業部門全てまかせて裏に引っ込んでしまったのである。 この時接収され鉄道会社は、以下の9社である。 奉山鉄路山海関-奉天皇姑屯-奉天総站・打虎山-通遼・溝幇子-営口錦県-口北営子・金嶺寺-北票連山-葫蘆島1899年に清が京奉鉄路外延長線として山海関-河北間を開通させたのを最初とする満洲最古鉄道支線含めた全通1927年である。京奉鉄路一部であったが、1932年1月9日独立した。なお営口駅は満鉄営口にあった既存営口駅とは別駅で、後の河北駅である。 瀋海鉄路奉天-海龍-朝陽鎮・沙河-西安) 元は1913年の「満蒙五鉄覚書」および1918年の「満蒙鉄道覚書」によって日本敷設持っていた路線であったが、建設見通しが立たなくなったため、1924年中国側敷設することを承認東三省交通委員会によって改め計画・建設が行われた路線で、1928年8月全通した当初半官半民であったが、全通時には事実上官営となっていた。なお当初は奉海鉄路称した満鉄との並行路線一つであり、満鉄包囲網一部をなした。 吉海鉄路朝陽鎮-吉林) 瀋海鉄路建設に伴い吉林省計画・建設した路線1929年8月全通した。瀋海鉄路連絡運輸行い奉天-吉林間をつなぐ役割果たしていた。1913年の「満蒙鉄道覚書」による路線並行していた上に、満鉄との並行路線一つともなり満鉄包囲網一部をなした。 吉長吉敦鉄路新京-吉林吉林-敦化蛟河-奶子山) 元は吉長鉄路と吉敦鉄路の2社で、いずれも日本と清および中華民国借款契約による合弁会社であった吉長鉄路1912年10月全通、吉敦鉄路1928年10月全通で、いずれも満鉄委託経営行っていた。満洲内の鉄道中でも特に短い路線で、2社に分割しておくと経費がかかりすぎるとの理由から、中華民国政府対す説得の末両者1931年11月合併した。 四洮鉄路四平街-鄭家屯・鄭家屯-通遼・鄭家屯-洮南1913年の「満蒙五鉄覚書」による路線1923年11月全通1931年単独満鉄への経営委託を行う協定結んだが、最終的な委託国有化になった。 洮昂鉄路洮南-昂昂渓奉天軍閥当局1924年9月南満洲鉄道満鉄)と洮昂鉄道建設請負契約締結翌年から満洲鉄道敷設工事行った路線で、1926年7月上記区間全通した区間開通後、奉天当局工事費支払い履行しなかったことから、区間完成引き渡し懸案事項となっていたが、1933年満洲国による接収によって支払い問題解決し事実上満鉄による経営落ち着いた。本来は斉斉哈爾までの敷設予定であったが、ソ連奉天軍閥交渉長引いたことから手前打ち切りとなったその後の経緯は斉克鉄路の項参照。なおこの昂昂渓駅中東鉄路西部線昂昂渓駅とは別駅で、後の三間房駅である。 洮索鉄路白城子-懐遠鎮) 1927年奉天軍閥敷設認めさせた5つ鉄道路線1つに当たる。ただし実際に計画・建設行ったのは東北交通委員会で、満鉄包囲網一部をなす路線として建設された。1931年2月途中まで開通した状態で引き継がれた。 斉克鉄路昂昂渓-斉斉哈爾楡樹屯-東昂昂渓斉斉哈爾-泰安・寧年-拉哈) 本来の計画路線斉斉哈爾より北側のみで、南側昂昂渓(後の三間房)-斉斉哈爾間は元は洮昂鉄路計画路線であった南側区間は、ソ連北京政府奉天軍閥に対して鉄道経営への参入強く求めて交渉材料として東清鉄道との線路交叉問題視したことから、敷設工事塩漬け態となっていた。1928年東北交通委員会建設強行したことでソ連側譲歩したものの、どこの会社路線宙ぶらりんとなっていたのを、斉斉哈爾-克山間の建設開始により当鉄路所属することになったのである。なおこの路線関係し北満鉄路昂昂渓駅接続している斉昂軽便鉄路への連絡線として、楡樹屯-東昂昂渓間を結ぶ路線開業している。本体斉斉哈爾-克山は、1932年12月北満開発泰安-克山まで途中開通させたところで接収となった。 呼海鉄路馬船口-海倫清末黒竜江省計画した鉄道であったが、辛亥革命一度頓挫次にロシア借款契約行ったもののロシア革命もう一度頓挫し1925年にようやく半官半民建設開始された。1928年12月全通起点馬船口は哈爾浜対岸に当たる場所であり、そこから北へ路線延ばしていたため、哈爾浜中枢としていた中東鉄路利害関係衝突孤立したまま接収された。接収に伴い鉄道会社は「鉄路局」(例:奉山鉄路→奉山鉄路局)となり、その路線旧社名をつけて路線群として呼ばれた(例:奉山鉄路路線奉山線)。しかし実際に接収前の鉄道会社そのまま横滑りしたにすぎず、奉天など各路線主要都市いくつも鉄路局が重複して所在するという、国有鉄道としては荒削り組織体制であった

※この「成立と運営委託」の解説は、「満洲国国有鉄道」の解説の一部です。
「成立と運営委託」を含む「満洲国国有鉄道」の記事については、「満洲国国有鉄道」の概要を参照ください。

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