成立と経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/12 14:25 UTC 版)
アンスバッハ侯領は、ニュルンベルク城伯領の"untergebirgisch"(山の麓)部分にあたる。"obergebirgisch"(山の上)部分と併せてホーエンツォレルン家のフランケン地方における本拠地である城伯領を形成する。1415年(1417年とも)にニュルンベルク城伯フリードリヒ6世は、それまで歴代有していた所領に加えて、世襲の辺境伯領を手に入れた。これよりホーエンツォレルン家は獲得した辺境伯の称号を用いることとなった。1427年に城伯の政庁であった城の帝国自由都市ニュルンベルクへの売却が完了し、国法上「ニュルンベルク城伯」は消滅した。フランケンの領土は、これより辺境伯領として定着し、これが後に2つの辺境伯領として(当初は一時的なものであったのだが)分割されることとなる。 2つの独立した領邦への最終的な分割は1486年のアルブレヒト・アヒレスの死後に行われた。フランケンの支配地域を2人の若い息子で分割することを取り決めた1473年公布の"Dispositio Achillea"に従ったものであった。分割地域への割り当ては、くじ引きにより決定した。フリードリヒは、後のアンスバッハ侯領となる"untergebirgisch"地方が割り当てられた。弟のジークムントが獲得したもう1つの地域は後にクルムバッハ侯領となった。 アンスバッハ侯領は、クルムバッハ侯領(1604年以降はバイロイト侯領)とたびたび同君連合の形で統治された(1495年 - 1515年、1557年 - 1603年、1769年 - 1791年)が、神聖ローマ帝国の終焉まで国法上は独立した領邦であった。1791年にバイロイト侯領と共にプロイセン王国に編入されると、アンスバッハ=バイロイトとしてカール・アウグスト・フォン・ハルデンベルクに包括管理されることとなった。フランス革命戦争でのプロイセンの敗北後はフランスに割譲され、とりあえずは軍政管理下に置かれたが、1810年に最終的にバイエルン王国領となった。
※この「成立と経緯」の解説は、「アンスバッハ侯領」の解説の一部です。
「成立と経緯」を含む「アンスバッハ侯領」の記事については、「アンスバッハ侯領」の概要を参照ください。
成立と経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 09:17 UTC 版)
「グスコーブドリの伝記」の記事における「成立と経緯」の解説
本作にはその前身となる作品が存在する。1922年(大正11年)頃までに初稿が執筆されたと推定される『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』である。この作品は「ばけもの世界」を舞台とし、苦労して育った主人公であるネネムが「世界裁判長」に上り詰めながら慢心によって転落するという内容の作品であった。賢治はこの作品のモチーフを利用しながら、およそ10年の間に作り変え(その過渡的形態を示す『ペンネンノルデは今はいないよ』という創作メモが残されている)、1931年(昭和6年)頃に本作とほぼ同じ内容を持つ下書き作品『グスコンブドリの伝記』を成立させた。 賢治は詩人・佐藤一英が編集・発行した雑誌『児童文学』の創刊号に『北守将軍と三人兄弟の医者』を発表したのに続き、本作を発表する。その発表用と思われる清書原稿の反故が数枚現存しているが、その中には上記の『グスコンブドリの伝記』の終わりのほうに裏面を転用したものがあり、『グスコンブドリの伝記』が完結しない段階で冒頭から『グスコーブドリの伝記』の清書を行うという差し迫った状況を垣間見せる。『グスコンブドリの伝記』と本作を比較すると、『グスコンブドリの伝記』での細かいエピソードの描写を省略した箇所がいくつか存在している。賢治の実弟である宮澤清六も評伝『兄・賢治の生涯』で「後半を書き急いでいるような印象」を指摘している。 なお、本作の発表用原稿の執筆時期については1931年(昭和6年)夏に書かれた書簡に「(『児童文学』に対して童話を)既に二回出してあり」という表現が見られる一方、『兄・賢治の生涯』ではこの作品の執筆をめぐるエピソードが1932年(昭和7年)春の話として出てくる。このため1931年夏にいったん送った後、書き直しを求められたのではないかとする意見もあるが詳細は不明である。 2015年7月2日、古書入札会に出品予定の本作の自筆草稿1枚が、東京古書会館で報道陣に公開された。これは清書稿書き損じ断片とみられるものの1枚で、内容は「三、沼ばたけ」の章の一部であるが、『児童文学』発表形とは内容に相違が見られる。
※この「成立と経緯」の解説は、「グスコーブドリの伝記」の解説の一部です。
「成立と経緯」を含む「グスコーブドリの伝記」の記事については、「グスコーブドリの伝記」の概要を参照ください。
- 成立と経緯のページへのリンク