成立と立地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 05:36 UTC 版)
成立時期を記した明確な史料はないが、百錬抄に寛治4年に朝廷賀茂上下社へ神領が寄進されたとあることから、1090年(寛治4年)またはその前後に成立したものと考えられる。 立地は、北は能登との国境地帯、東は宝達山から続く宝達丘陵、西は日本海、南は河北潟から続く湿地帯で、宝達丘陵から西側へ続く平野には川や湖沼が形成され、日本海に接した陸地は砂丘地帯が南北を横断していた。なお、戦国時代の史料によれば、荘内は北から高松、内高松、与知、上棚、谷、横山、金津、鉢伏、日角、新保10ヵ村で構成されていたようである。
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