成立と背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/02 21:11 UTC 版)
この一念三千の教理が完成するまでには背景がある。 天台宗の実質的な開祖は智顗であるが、龍樹を開祖とし、第二祖を慧文禅師、第三祖を南嶽慧思禅師とする場合もある。そしてその第二祖といわれる慧文が龍樹の中論を読み、一心三観を会得したといわれる。一念三千は、この一心三観がベースとなっている。 一心三観とは、凡夫・衆生の心にはつねに一瞬一瞬で変化するが、その中に「空・仮・中」の三諦で観ずることをいう。 この件は、天台宗全書9巻によると、慧文禅師は大乗教の肝要を誰を師として学ぶか考え、大蔵経の前で願を発した。手を背にして経を取れば仏を師とし、論を取れば菩薩を師とすることに決めた。しかし中観論を手にしたので龍樹を師とすることを決めたが、それを読むと因縁所生法、我説即是空、亦名為仮名、亦是中道義の文を見て、その文字の中に不二法門に入り、一心三観の観法を開悟会得し、それを南嶽慧思に授けた、とされている。 智顗はこの「一心三観」を前提として十界互具を展開し、それがまた一念三千の思想へとつながっていった。 智顗は「十界」という世界観など、後世の仏教界に多大なる影響を与える教学を数多く創始した。その中でも、一念三千は天台宗の教理の中でも極理とされている。しかし、この一念三千は智顗自身は自らの著書である「摩訶止観5の上」でたった一度しか説明していない。したがって仏教学的には、一念三千は智顗が宣揚展開した教理とは考えられていない。 一念三千が仏法の極理、とまでされるになったのは、智顗から数えて六祖(龍樹から数えると九祖)である妙楽大師・湛然が、「止観輔行伝弘決5」で一念三千が智顗の「終窮・究竟の極説」と配釈し、これを指南とするように説いたことがその始とされる。 なお、一念三千の理論構成の一つである十如是は、梵文(サンスクリット語)原典や鳩摩羅什が訳出した法華経以外には見られないもので、鳩摩羅什の意訳であるとされている。詳しくは十如是の項を参照。
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