湛然とは? わかりやすく解説

たん‐ぜん【×湛然】

読み方:たんぜん

ト・タル[文]形動タリ十分にたたえられよどんでいるさま。また、静かで動かないさま。

「—たる水の底に明星程の光を放つ」〈漱石幻影の盾


たんねん【湛然】

読み方:たんねん

711782中国、唐の僧。天台宗中興の祖常州晋陵(江蘇省)の人。荊渓(けいけい)尊者妙楽大師ともよばれる。智顗(ちぎ)の著述研究普及努めた。著「法華玄義釈籤」「止観大意」など。


たんねん 【湛然】

中国唐代天台宗六祖荊溪尊者妙楽大師円通尊者とも。晋陵荊溪江蘇省)の儒家出身で、天台学び、五祖玄朗から奥義を受け、初祖智の書の研究発揚努め法相華厳対抗する新し教学説いて天台中興称される。著『摩訶止観輔行伝弘決』他。(七一一~八二)

湛然

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 09:13 UTC 版)

湛然
景雲2年 - 建中3年2月5日
711年 - 782年3月23日
諡号 圓通尊者
尊称 妙楽大師
生地 常州晋陵県
宗派 天台宗
左渓玄朗
弟子 道邃・行満
著作 『止観輔行伝弘決』
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湛然(たんねん)は、中国代の天台宗僧侶荊渓湛然(けいけい たんねん)と呼ばれ、また、妙楽大師と称された。天台宗の第6祖。

事績

俗姓は戚氏。生家は儒教を奉ずる家柄であったが、早くより仏教を志向し、17歳の時に仏教、とりわけ天台教義を修学し始めた。20歳の時に左渓玄朗に入門し、出家前にその奥義を受けた。

出家したのは、38歳の時であり、以後、更に研鑽に勤めた。天宝13年(754年)に玄朗が没すると、その継嗣として、天台宗門の再興に尽力した。当時の華厳宗法相宗禅宗といった勢いの盛んな宗派に対抗し、盛んに講筵を張り、またその一方で述作にも専心した。よって、天台中興の祖と称せられる。

門弟子には、道邃・行満ら39名が数えられるが、道邃・行満の二人は、最澄に天台法門を伝えたことで知られる。

著書

  • 『止観輔行伝弘決』10巻
  • 『法華玄義釈籤』10巻
  • 『法華文句記』10巻 ほか多数

伝記資料

参考文献

  • 日比宣正「荊渓湛然の研究:著述の製作年次に関する考察」(1964年)
  • 池田魯参「荊渓湛然に及ぼした華厳教学の影響」(『華厳学論集』、大蔵出版, 1997年)ISBN 4804305378
  • 池麗梅著『唐代天台仏教復興運動研究序説:荊渓湛然とその『止観輔行伝弘決』』(大蔵出版、2008年)ISBN 9784804305714
師:左渓玄朗 天台宗(中国) 弟子:道邃・行満



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