意匠と開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 00:51 UTC 版)
「Dishonored」の記事における「意匠と開発」の解説
アートチームは開発中もずっと主張し続けた、開発期間の終わりまで、製作準備を伸ばすべきだと。図案はすべて機械的に再現するのではなく、手描きである。「現代でも通じるようなかっこよさ」と「その時代(過去のロンドン)の雰囲気」を思い描いて意匠されたダンウォールの街は、19世紀初めから20世紀にかけてのロンドンとエディンバラに着想を得たものである。しかしながら、開発の最初期の段階においては、ゲームは17世紀のロンドンが舞台だった。ロンドンが最初の設定だったのに、どうしてその意味ありげな発想を変えてしまったのかを説明しようと、スミスはこのように説明した。 それがあの疫病の最後の年であり、ロンドン大火の年でもあったからです。もちろんスラム街が焼けて跡形もなくなったことで疫病の流行は終息したのですが……。このような類のゲームでは、緊張を高め、はっきりいえば世界をもっとワクワクするものにする方法をいつも探していますし、それに埋め尽くすような群衆がどうして市場にいないのかの言い訳も欲しいです。それで、ネズミの群れというのを思いついた人がいたんです。それとは別に召喚について話し合っていたので、ネズミを召喚できるようにしたり、死体を隠す手間を省くために、ネズミにそれを掃除させたりできるようにするのはどうかと考えました。すべてのピースが、ぴったりとはまっていったのです。 アントノフはロンドンから得たインスピレーションをこのように説明した。「巨大都市、だが小汚く、混沌としていて強烈だ……そして異国風味とアメリカやヨーロッパのような雰囲気を併せ持っている」と。アントノフは異文化への理解の重要性を強調した、その理由は、「新しいフィクションを作り上げると、いろんな人に伝えたくなる」からだそうだ。彼はエディンバラは抑圧の観念と多様な建築デザインを与えてくれたと説明した。それが、アントノフがいうスチームパンク流のデザイン―真鍮、リベット、蒸気-とは違う未来像、と組み合わされた。この世界のデザインの要素にはゲーム内での架空の、実際とは異なる産業革命から生まれたものもあり、他のものはあえて印象的にしてある。アントノフとミトンは、調査の一環としてロンドンとエディンバラを旅行し人や場所やものの写真を撮った。この二人組は人通りが多い通りを避けて、ゲームの世界にもっとよくはまる横道や路地裏に集中した。ミトンは「私たちはネズミの視点からゲームをデザインしようとしていたのです……私たちが小さな町を持っていたら、無理な視点から、何が私たちが探索できる異なるすべてのアングルなのか。」と発言した。 ミッションはプレイヤーがやると面白いと感じたことも合わせた以前の興味深いアイデアをもとにしていた。小道はターゲットのエリアにアクセスするためと定められ、理想的な小道が開発され、拡大していった。エリアには巡回するルートや機能が割り当てられたNPC達が住んでいた。デザイナーはエリアにチャレンジか使うことができる力にぴったりなチャレンジを提供するかどうかテストするために、プレイヤーがアビリティやパワーを使うレベルにどの程度影響されるか観察し、必要に応じレベルを変えていった。 ゲーム内のキャラクターには古典のアドベンチャーや海賊ブラッド(1922年)のような海賊物語のイラストに触発された作法が用いられているが、政治的な過ちやリアリズムの感覚も持っている。解剖学の専門家はイギリス人を参照したキャラクターの顔の形態学を確認する事を援助した。アントノフとミトンはゲーム内の美術のいくつかを意匠し、塗ってもらうためにロシアの織物のカーペットのデザイナーを雇った。 プレイヤーのパワーの効果のバランスをとることは困難なものだと考えられており、コラントニオは「我々はプレイヤーが本当にクールになると思って、プレイヤーに非常に強い力を与えたかったが、同時に、ゲームを簡単にしすぎたくはなかった。」と発言した。すべての力に、持続期間、マナコスト、頻繁に使うとコストがかかりすぎたり、効果の長さを制限したり、有効範囲内で最も威力が出るといった、バランス調整のための設定変更が繰り返された。
※この「意匠と開発」の解説は、「Dishonored」の解説の一部です。
「意匠と開発」を含む「Dishonored」の記事については、「Dishonored」の概要を参照ください。
- 意匠と開発のページへのリンク