恋愛文化批判
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恋愛文化研究の成果を踏まえ、1990年代後半からは、ジャーナリズムにおける評論活動を積極的に展開し、現代日本の恋愛文化に対する批判を進めていく。『もてない男――恋愛論を超えて』(ちくま新書)では、自らを「もてない男」と規定し、その実存の真実に立脚して、「誰にでも恋愛ができる」というのが近代恋愛思想の最大の嘘であるとの主張を展開した。本書の斬新な主張は注目を集め、10万部を超えるベストセラーとなった。後年、小谷野は「今の日本には、『非モテ語り』というものがある。自分がいかに異性にもてないか、それがいかに苦しいかを語る様式で、男女を問わず、特にネット上でよく語られているけれども、外国にはない。なぜならそれはかくいう訳者が『もてない男』で発明した様式だからである。それ以前は『もてない』ことは自己責任である、恥ずかしくて語れないことである、と思われていたのだ。証拠歴然である」 と発言している。続く『恋愛の超克』では、「誰もが恋愛、セックスをしなければならない」と若者を洗脳しているとして、現代の各種メディアを批判し、資本主義社会の御用イデオロギーとしての恋愛の超克を主張した。また本書では、「売春反対論者」であったが、現在は「必要悪としての容認論」に転じている。 「もてない男」を標榜する反面、「美人好き」をも公言している。いずれの議論も、現代のフェミニズムが隠蔽している、男女それぞれの内部における深刻な格差を問題化するものである。『美人好きは罪悪か』では、自らをとらえている「知的な美人」への嗜好を、社会的・歴史的に分析している。また、文学や学問の世界でも美貌の女性が得をするのであり、それならば偽善を言わないで、美人作家などはどんどんその美貌を活用して売ればいいと主張する。また、清岡純子の少女ヌードの愛好家であることを明かし、児童ポルノ規制の強化(単純所持で処罰)に反対の意を表明している。 「美人好き」といっても、女性は誰もがきれいになるべき、なれるという立場には否定的である。同書では、「どんなにブスでもデブでもバカでも、外見さえ整えれば、ダイエットすれば、男が付き合ってくれるだろう、などとは言えまい。もっとも、そういう嘘は女性雑誌が盛んに言っているが、あれは化粧品会社がスポンサーだったりするからで、美容産業と結託しているのである。」 と批判している。また「エステなどの美容産業」が「女性雑誌あたり」と結んで、女性に「加齢による容貌の衰え」を気に病ませるよう誘導しているとも指摘した。 この言論に関係して、『江戸幻想批判』における「吉原の遊女の平均寿命は23歳」という主張に関する誤りについて「絶望書店日記」という一般人のブログで指摘され、これに反発した小谷野は「匿名批評は卑怯だから実名を名乗るかさもなくば日記の当該エントリを削除せよ」と要求を突きつけた が、拒否されたため、2006年3月30日、小谷野は絶望書店を「違法無届営業」 と罵倒し、「杉並警察に通報しようかな」 と書いたこともある(その後、絶望書店は古書を売るのみの営業であり届出の必要な古物商の定義には該当しないことが判明)。やがて小谷野は「絶望書店主人」の指摘について「重箱の隅突つきでしかない」とした上で、「本質に関わりない点で私が誤っただけだ」と弁解している。 このトラブルに平行して、2006年の3月から4月にかけ、或る匿名のはてなブロガーからインターネット上で「キチガイ」「大学の恥」「馬鹿学者」「狂犬」などと揶揄されたため、当該箇所をプリントアウトして警視庁高井戸警察署に相談したが埒が明かなかったため、株式会社はてなや当該ブロガーに対する問題の記述の削除要請を経て、2008年2月5日、はてなを相手取って東京簡裁に情報開示および損害賠償請求の訴を起こし、裁判所の和解勧告に従って同年7月3日にはてなと和解すると共に情報開示を受けた。これによって当該ブロガーの個人情報を突き止めたものの、小谷野は「高卒じゃしょうがないね。高卒の者の言論相手に裁判起こしたりしないから安心しな。実はぱっと見て怒り狂ったんだけど、本当に高卒だと知って怒りは収まった」「最近はおとなしくしているので、すぐ提訴する気はない」 と言っている。
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