当山周辺の霊蹟とは? わかりやすく解説

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当山周辺の霊蹟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:04 UTC 版)

白峯寺」の記事における「当山周辺の霊蹟」の解説

遍路道根香寺道)を境内から奥之院方向下乗石・摩尼輪塔46丁付近、なお、七棟門山門前50丁となる) ここから先は聖地であるゆえどんな高貴な者でも乗り物からおり自分歩いて参拝しなさいという印。 根香寺に向かう遍路道である根香寺道の途中摩尼輪塔笠塔婆下乗石があり、坂出方面からの参道途中にある白峰展望台付近広場中心に笠塔婆下乗石と一ノ門の裏摩尼輪塔下乗石がある。根香寺道途中にある古い摩尼輪塔県文化財)は小屋覆い保存し、隣には天保7年3月1836年)に高松藩建てた由緒背面刻んだ笠塔婆下乗石がある。 一ノ門裏の下乗石は元々白峰展望台付近広場西側にあったが、塔身が折れ笠石月輪落ちていたもの修復し昭和31年(1956)5月に寺有山林中移築したもの。 また旧参道1つである神谷道沿いにも笠塔婆下乗石が残されており、現在は上記含めた全部5つ下乗石が現認できる。 先師墓(45丁付近) 当寺歴代住職墓地でフェンス封鎖されていて立ち入りできないおびただしい墓石石仏遍路道から臨める。 縁結び地蔵 先師墓より奥之院向けて30mほど進んだ所から左へ約20m入る。 奥之院毘沙門窟(43丁付近から左折地図 左側奉献毘沙門天文字刻まれ立派な石灯篭があり左折し石畳の道を行くと一対石燈籠があり、険し石段下って行くと覆屋根があり、毘沙門天立像刻まれ舟形石岩窟中に鎮座している。少々崖を下りるため注意が必要、雨天時は足元に更に注意が必要となる。※徒歩のみ 白峯寺より約15分 。 また近く無名の滝があり滝音聞こえる。 閼伽井34丁付近)地図 奥之院への分岐からさらに進むと少し開けた所が道脇の右側にある。遠い昔から枯れことなく湧き出ており、傍ら丁石大師石像がある。 下乗石・摩尼輪塔 縁結び地蔵 奥之院毘沙門閼伽井 坂出方面からの参道途中 中ノ地蔵(なかんぞう):3体の石仏は元々高家神社から登る参道1つである高屋道から白峯寺までの中間地点である茶屋の隣にあったが、県道整備するにあたり、旧参道1つである青海道から白峯寺登る体中程で高家神社稚児の滝の中間地点付近県道180号脇に移設された。基部には文化7年7月24日建立願主院増明と刻まれている。 杓子谷の地蔵湧水上記中ノ地蔵の少し上の県道180号脇にあり、今でも少量湧水がある。石造大師1体地蔵像3体がある。 鳥居高家神社入り口石造鳥居(刻:崇徳天皇)と石燈篭(刻:白峯大権現)が各1基現存するが、これらは元々高家神社より下った坂道途中にあったが、高屋道の参道県道として拡幅整備する際に現在の位置移設された。本来は石燈篭一対であったが、移設後に倒壊し破棄された。鳥居はここ以外にも現在確認できる範囲高屋参道口側道一基(刻:崇徳天皇)、林田付近にあったものを護岸整備の際に青海神社から当寺上がる西行法師の道」の途中平成15年5月移設したもの高松方面からの旧参道である香西西町現存石燈篭1対と地蔵と共に)のものがある。 稚児の滝 白峯寺前を通り白峯陵を通過する青海川支流で、稚児ヶ嶽より流れ落ち大雨の後は約百mの落差大滝であるが、普段湿っている程度水量少ないため、幻の滝ともいわれる伝説として、昔このあたりに悪出て困っていた。景行天皇日本武尊(武皷王とも)と八十八兵士派遣し退治したが、毒気当たった兵士達倒れてしまった。その時白峰山から神童現れ持参した瓶に入った飲ますと皆蘇った。その神童飛び帰ったのが稚児ヶ嶽といい、そこから稚児の滝と名付けられた。 中ノ地蔵 杓子谷の地蔵湧水 林田港から移設した鳥居西行法師の道 稚児の滝 番外霊場 松浦寺遍照院 白峯寺前札所である。空海当地逗留したとき宝珠の形をした巨石地中から出現したため、閼伽井掘って仏前供える得て、この岩の上求聞持法修したまた、自身の像を作って安置したことから厄除大師として信仰集めたと云われている。 伽藍大師堂阿弥陀堂十王堂地蔵堂毘沙門堂、求聞持石、客殿本坊平成29年解体修理の際に弥勒堂仁王門解体された。) * 住所香川県坂出市高屋624 地図 後夜岩屋寺松浦寺遍照院奥之院空海松浦寺滞在中に、しばしば当岩山来て、自ら崖を砕き石窟造り後夜念踊(夜半から明け方までの勤行)の作法修めた道場伝えられている。 * 住所香川県坂出市加茂町 地図 周辺にある崇徳天皇霊跡 青海神社:(別名:煙ノ宮) - 祭神崇徳天皇藤原璋子地図 高家神社:(別名:血ノ宮) - 祭神崇徳天皇待賢門院天道根神の三地図 西行法師の道:青海神社から白峯御陵までの道のり1.34kmのことで平成15年整備され歌碑88基と石灯籠93基があり、歌碑詠みながら歩くことができる。 節内の座標示した地図 - OSM内の座標出力 - KML 表示

※この「当山周辺の霊蹟」の解説は、「白峯寺」の解説の一部です。
「当山周辺の霊蹟」を含む「白峯寺」の記事については、「白峯寺」の概要を参照ください。

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