平時の運用とは? わかりやすく解説

平時の運用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:11 UTC 版)

パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事における「平時の運用」の解説

黒海艦隊では、新たに配備した巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」と「カグール」をそれぞれ前者水雷分艦隊に、後者戦列艦戦隊配属した。 1909年5月29日23時27分、夜間雷撃訓練であった黒海艦隊衝突事故発生した練習艦隊旗艦ロスチスラフ」が潜水艦の 1 隻に衝突、これを誤って沈めてしまったのである事故現場近くにいた「パーミャチ・メルクーリヤ」一人潜水艦乗員救出したが、彼は潜水艦カンバラ」の指揮官 M・M・アクヴィローノフ海軍中尉であり、事故発生時には司令塔英語版)にいたが、船外吹き飛ばされ冷たい海上を漂っているところを「パーミャチ・メルクーリヤ」救助されのである。彼以外に助かったはおらず潜水艦分遣隊長の N・M・ベールキン 2 等佐官以下、 20 名が殉職した。潜水艦真っ二つになって深さ 57 m の水底沈んでいるのが確認された。この事件の責任をとって、黒海海軍長官 I・F・ボストレム(ロシア語版海軍中将は任を外れた1909年12月5日ミハイル・ニコラエヴィチ大公がフランス・カンヌで没すると、ビゼルト僚艦とともに訓練従事していたバルト艦隊所属巡洋艦「ボガトィーリ」が、その遺体祖国まで送り届けるよう命が下ったオスマン帝国政府許可の下、「ボガトィーリ」は地中海からオスマン帝国管轄のダーダネルス・ボスポラス両海峡抜けてセヴァストーポリ訪問することになった「パーミャチ・メルクーリヤ」と「カグール」は、「ボガトィーリ」がボスポラス海峡抜けてセヴァストーポリ入港するまで護衛担当した「パーミャチ・メルクーリヤ」では、1910年末までにようやく昇降機レール調整された。明けて次年度活動開始した1911年4月16日には、「パーミャチ・メルクーリヤ」黒海作戦艦隊長官 V・S・サルナーフスキイ(ロシア語版海軍中将提督旗を掲げた戦列艦イオアン・ズラトウースト」以下、戦列艦ロスチスラフ」、巡洋艦カグール」、輸送船工作艦の「クロンシュタット」、第 5 水雷艇予備とともに艦隊編成してカフカース沿岸向けて出港した艦隊ノヴィ・アフォン沖で軍事演習行った。しかし、日露戦争での精鋭喪失第一革命での士気低下は深刻で、艦隊訓練成果辛うじて落第免れる程度であった艦隊最初10 kn航行速度を保つのがやっとであった「パーミャチ・メルクーリヤ」では、 152 mm 砲の射撃訓練以前57 % の命中率記録していたのが、今次36 % に達するのがやっとであった艦隊6月7日に一旦中止され艦船予備役入れられた。潜水艦沈没事故で任を外れていた I・F・ボストレム海軍中将黒海艦隊司令官復職すると、7月1日訓練再開された。7月9日には、艦隊ドナウ川河口で第 5 水雷艇隊と水雷攻撃への対処訓練実施した。ベリベーク川(ウクライナ語版)河口での一連の訓練終えた艦隊は、7月21日オデッサ移動しその後ジェブリヤン(ウクライナ語版)投錨地に向かった7月26日には、カーチャ川(ウクライナ語版)河口夜間の水雷攻撃への対処訓練実施したその後イェウパトーリヤ連泊し、さらにもう一度水雷攻撃への対処訓練実施したセヴァストーポリへの帰路は、ポルトアルトゥールでの戦訓元に掃海船先頭立てて航海した8月9日には、「パーミャチ・メルクーリヤ」黒海艦隊司令官旗を掲げた戦列艦ロスチスラフ」以下、「イオアン・ズラトウースト」、「エフスターフィイ」、「パンテレイモン」、巡洋艦カグール」、第 2 水雷艇とともにバトゥーミ向かった艦隊バトゥーミへは寄港せずにアナトリア沿岸回り航海訓練従事したトラブゾンサムスンスィノプ、エレーリを訪問した8月9日には、アナドルフェネリから 3 海里海上までボスポラス海峡接近したその後艦隊ルメリア周回してイーネアダ(英語版)を経由し、そこからブルガリア王国向かってブルガス投錨した8月19日にはヴァルナ訪問し、軍ならびに市民から大きな歓迎受けた艦船ヨアンナ王妃行啓を受け、士官らは郊外宮殿、エフクシノグラト(ブルガリア語版)へ招かれた。 クリミアへの帰路巡洋艦水雷艇18 kn速度航行し艦隊標的用いた射撃訓練実施した。この航海は、艦隊にとって黒海全周にわたる、途中で補給を受ける最初自立した航海となった9月6日には、艦隊海軍大臣ロシア語版I・Kグリゴローヴィチロシア語版海軍中将黒海艦隊視察訪れ9月8日には、皇帝ニコライ2世行幸受けた黒海艦隊9月にはルーマニア王国港湾都市コンスタンツァ訪問しブルガリアにおけるのと同様の歓待受けたルーマニア市民戦列艦パンテレイモン」を訪問し見学した帰路艦隊海軍大臣診察の下、機動演習従事したが、途中で旦中止を余儀なくされた。9月19日隊列先頭走っていた戦列艦パンテレイモン」と、それに続いていた「エフスターフィイ」が座礁し浸水を含む大きな損傷負ったのである。両艦はセヴァストーポリ引き返して修理が必要となったが、残り艦船演習続行した。その引責としてボストレム海軍中将艦隊司令官辞任し10月29日付けA・A・エベルガールト海軍中将艦隊司令官任官した1911年から1912年にかけて、黒海艦隊では再び革命運動が影を伸ばしていた。これに対し政府蜂起計画容疑者次々逮捕したが、1912年6月から7月にかけての期間に、戦列艦イオアン・ズラトウースト」、「エフスターフィイ」、「パンテレイモン」、「シノープ」、「トリー・スヴャチーチェリャ」、巡洋艦カグールならびに「パーミャチ・メルクーリヤ」から 500 名の逮捕者出した

※この「平時の運用」の解説は、「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の解説の一部です。
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