やまがた‐ありとも【山県有朋】
山県有朋
山県有朋 やまがた ありとも
山口生まれ。陸軍軍人、政治家。父は萩藩士。松下村塾に学ぶ。奇兵隊の軍監として活躍。戊辰戦争に従軍。兵部小輔、兵部大輔、陸軍大輔を経て明治6年(1873)陸軍卿に就任。徴兵令の制定を推進。軍制の確立に尽くす。11年(1878)参謀本部長。16年(1883)内務卿。18年(1885)第1次伊藤内閣の内相に就任。民権運動を抑圧するとともに、中央集権的な地方制度の確立につとめる。22年(1889)第1次山県内閣を組織。第2次伊藤内閣の司法相、陸相、枢密院議長、日清戦争時の第1軍司令官などを歴任。31年(1898)第2次山県内閣を組織。日露戦争時は参謀総長として作戦指揮にあたる。元老として「山県閥」と呼ばれる官僚、軍人の一大勢力を形成し、政界への影響力を行使した。
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山県有朋
山縣有朋
山県有朋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 03:41 UTC 版)
陸軍卿。出世欲が強い人物だが、山城屋事件を西郷に救われたことから西郷には厚い恩義を感じている。西郷挙兵の折は参軍として政府軍の総指揮権を得、慎重な采配をふるって戦争を有利に進め、西郷自決後はその首を探し出し、洗い清めて丁重に埋葬した。
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山縣有朋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 06:29 UTC 版)
「「坊っちゃん」の時代」の記事における「山縣有朋」の解説
当時、現役を引退しながらも政界に力を及ぼしていた。椿山荘にて自ら開催する句会に漱石も同席していた。本作における「校長」のモデル。薩長同盟の縁で薩摩出身の伊集院は覚えがいい。
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山縣有朋(やまがた ありとも)
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「昭和天皇物語」の記事における「山縣有朋(やまがた ありとも)」の解説
長州閥の元老。元帥帝国陸軍大将。公爵。強欲な人間であり、日本国のためならばと誰よりも権力を好む。
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貴族院公爵議員 | 島津忠済 島津忠承 山縣有朋 二条基弘 近衛文麿 |
日本の陸軍軍人 | 南部麒次郎 小松慶也 山縣有朋 山本舜勝 七田一郎 |
日本の神 (人物神) | 倭姫命 徳川斉昭 山縣有朋 楠木正成 井上内親王 |
茶人 | 原富太郎 大林宗套 山縣有朋 千宗拙 長谷川宗仁 |
日本の伯爵 | 藤堂高紹 葛城茂麿 山縣有朋 藤堂高潔 寺島宗則 |
日本国歴代内閣 | 第2次山縣内閣 廣田内閣 山縣有朋 阿部信行 黒田内閣 |
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