対政府活動の実績と推移、他機関の影響
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「日本学術会議」の記事における「対政府活動の実績と推移、他機関の影響」の解説
日本学術会議は政府への勧告により、東京大学附置原子核研究所など多くの共同利用研究所の設立を実現させた。また、1954年には「原子力研究と利用に関し公開、民主、自主の原則を要求する声明」(原子力研究三原則)を提言。1955年には、1957年に南極学術探検隊を派遣する会長談を公表し、政府にも提言。設営や派遣員の人選などを日本学術会議「南極特別委員会」で推進した。 当初は日本学術会議と政府の間を科学技術行政協議会(STAC)が取り持ち、提言を行政に反映させていた。しかし科学技術庁ができてSTACが同庁の科学技術審議会と衣替えし、さらに科学技術会議が発足していくと、「学術会議の提言等を実施に移す専用のルートが実質的になくなり担当する省庁の判断に任せられることとなった」と言われている。また、2005年の改革では総合科学技術会議と提言する内容に重複がないように棲み分けが図られた。 第1期から第16期までの実績を以下の表に示す。ただし、会長談話は第14期から、対外報告は第13期から始まったものである。 政府勧告政府への要望公表された見解、声明会長談話対外報告第1-12期(1949-1985年)平均20件(通算240件) 平均28.4件(通算341件) 平均7.5件(通算90件) — — 第13期(1985-1988年)5件 3件 2件 — 16件 第14期(1988-1991年)5件 1件 1件 3件 16件 第15期(1991-1994年)1件 4件 2件 7件 61件 第16期(1994-1997年)1件 1件 0件 2件 12件 2020年10月には、2010年8月を最後に勧告が行われていないことが問題視された。なお、上記表に「提言」は含まれない。日本学術会議における「提言」とは、「科学的な事柄について、部、委員会又は分科会が実現を望む意見等を発表するもの」を指し、2008年以降「提言」は321件行われている。ただし、提言については政府の担当者にメールで送るだけという批判もある。なお「勧告」は政府がそれを受けると必ず何らかの対処をする必要があり、日本学術会議会長経験者の大西隆は2020年の取材で、一方的で「強い性格を帯びる」勧告は昔より使われなくなったと答えている。 また、政府から受けた諮問に対して答申を返しており、その内訳は第1期22件、第2期15件、第3期13件、第4期9件、第5期7件という実績であった。ちなみに日本学術会議が第5期であった1960年(昭和35年)に、科学技術会議が第1号の政府答申を行っている。2005年の改革では総合科学技術会議と棲み分けられ、総合科学技術会議と日本学術会議は「車の両輪」と言われるようになったが、東京大学名誉教授の生駒俊明は「現実にはそうなっていない」と懸念していた。 2007年以降は政府からの諮問がなくなり、2020年10月現在まで答申は出ていない。しかし、2007年以降も政府や官庁から「審議依頼」を受けた上で審議し、報告をまとめているケースが2020年10月現在10件ある。中央教育審議会の答申により大学教育改革の論議が起こった際には、2008年に文部科学省の依頼を契機に「大学教育の分野別質保証のあり方検討委員会」を設置。2010年には「大学教育の分野別質保証の在り方について」を回答し、その後も関連学協会とともに「分野別の教育課程編成上の参照基準」に取り組んでいった。 なお、1962年3月7日には、当時通商産業大臣であった愛知揆一が当時上野にあった日本学術会議を訪問。「学者たちが研究費に困っていると聞いて、じかに話を聞こう」と愛知自ら赴いたもので、朝永振一郎、湯川秀樹、坂田昌一、後藤以紀、茅誠司らの声に耳を傾けた。朝永は加速器などの機械の問題や基礎研究の概念の変化について解説し、湯川は境界領域の研究の重要性とそれへの研究費・財政制度の未対応を、坂田は国際協力を進める上での問題点を訴えた。また、後藤は「“特別研究費”もさることながら、“経常研究費”の割合を増やさないと創造的な研究はできない。自由な研究が、学問発展のもと」と訴え、茅も講座研究費を戦前なみにすべきと要望した。
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