対振り飛車戦
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前述の鈴木は対振り飛車ではもっぱら中飛車や三間飛車破りで採用しているが、一般には対四間飛車での戦術がよく知られる。対四間飛車の順は江戸時代からあり、現在においては戦術として次のように分岐される。 右四間飛車急戦 : 対四間飛車の急戦。 右四間飛車左美濃 : 右四間飛車+左美濃。 右四間飛車穴熊 : 右四間飛車+居飛車穴熊。 四間飛車への対抗手段は、藤井システムの登場以降ある程度限定されてきているが、この戦法はまだその研究が及ばない部分も多く、1つの有力な戦法である。また振り飛車穴熊に対しては囲いができる前に戦いが起きるために『史上最強!ワセダ将棋』(講談社、1982年)では穴熊の「天敵」として紹介されている。 攻めが単調になりやすいこともあって公式戦にはあまり出てこないが、藤井猛対谷川浩司の第11期竜王戦で後手の谷川が用いたのが知られている。この戦いは藤井が巧妙な差し回しで谷川を破った。平成になってから棋戦で▲2五桂と飛ぶ早仕掛けを決行した例は少ない。理由として振り飛車が居飛車の速攻の攻めを食らわぬよう序盤に基本図のように組まずに変化して対策していることや、居飛車も舟囲いから固い囲いにしてから動くことで、なかなか早仕掛けにいかないということもある。 なおその後、日本将棋連盟の将棋専門誌『将棋世界』の連載企画「イメージと読みの将棋観」で右四間飛車戦法からの急戦策は振り飛車に有効かどうかについて、藤井猛・谷川浩司を含むトッププロ6名が分析する企画が行われたが、6名中で「有力ではない」と解答したのは佐藤康光、谷川、藤井らで、谷川と藤井らは共に左美濃や穴熊といった堅い囲いに囲えば一局としている。また佐藤は桂馬は4五方面に使いたい、藤井は▲3七桂から▲2五桂にこだわらなければ一局としている。いっぽうで羽生善治、渡辺明、森内俊之らは「有力である」と解答した。但し、3人は▲2五桂の仕掛けに後手が△2二角とすると▲4五歩から成立しているとしている。このため羽生、谷川、藤井らは▲2五桂に△1五角から▲1六歩△2六角▲4七飛△2四歩▲1三桂成△同香▲2七歩△3五桂▲同歩△同角▲8六桂については羽生はいい勝負、谷川や藤井はうまくいっているとはいいがたく、また玉が薄く、勝ち切るのは大変としている。なお1980年以降で数局ある右四間飛車の戦型でこの▲2五桂跳ね早仕掛けを使用したのは平成元年に先手の羽生が指した一局があり、勝利している。 尚、近年、ネット将棋の普及により様々な戦法が出る中で、上記▲2五桂に対し△2二角の時、▲4五歩の順では、四間飛車側が△5四銀型で、且つ右四間側が玉を7八まで囲わず▲6八玉で保留した形か、或いは▲7八玉に代えて▲7八銀としていた場合はこの順で成立する事が証明されている。これは▲2五桂△2二角▲4五歩以下、△2四歩▲4四歩△2五歩となる江戸時代の定跡手順では、次に先手から▲4五銀に変えて▲4三歩成と踏み込む手があって、この時先手玉が7八だと後手から△8八角成とされ王手だが、▲6八玉で保留又は▲7八銀だと角成が王手にならない為、▲4二とで飛車を取り先手の勝ちとなり、又、▲4三歩成に△同銀なら▲2二角成△同飛▲7七角でやはり先手勝ち、と導かれている。 この定跡はプロが▲2五桂早跳ね型に対する△2二角を指さなくなってからネット将棋の研究で発見された為、プロでの実戦例はまだない(アマチュアでは既に定跡化されている)が、現状ではこの玉保留型に対する有力な対抗策はなく、最新の定跡では△2二角で▲4五歩に△2四歩もしくは△3五歩〜3二飛の順は成立しない事が証明されている。
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