本来の雁木(対振り引き角雁木)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 19:20 UTC 版)
「雁木囲い」の記事における「本来の雁木(対振り引き角雁木)」の解説
対振り引き角雁木 本来の雁木戦法は、17世紀(江戸時代前期)の在野の強豪棋士・檜垣是安が船着き場もしくは寺社の階段(雁木)を見て考案した対振り飛車戦で用いる引き角戦法のことである(図は先手雁木戦法、後手美濃囲いの基本図。ただし、檜垣是安の時代に美濃囲いは存在しておらず、後に定跡化されたものである)。 具体的には、相手の振り飛車に対して舟囲いの陣形から左銀を▲7七銀と上がり、▲7九角と引く。こうすることで角筋が通り、飛角を連携して攻めやすくなる。また、角が動いたことで空いたスペースに玉を移動し、矢倉早囲いから矢倉囲いを目指すことができる。 6九金から2五歩まで駒が階段(雁木)のように斜めに連なっており、角を7九に引くと、駒の階段を登っていくかのように角筋が通るのがこの戦法のポイントとなる。ここから雁木戦法と命名された。 なお、舟囲いから発展するので、角が舟から降りて船着き場の階段を登っていくイメージとも合致するが、「舟囲い」という名称は戦後の1955年に考案されたものであり、全く無関係である。 対振り引き角戦法としての雁木戦法は、18世紀になって美濃囲いが考案されると、美濃囲いと比べて横からの攻めに弱い矢倉囲いが対振り飛車戦で不利と見られるようになったことなどの理由から、徐々に廃れていった。それでも、1981年度棋王戦五番勝負第5局で米長邦雄がこれを採用して森安秀光を破って棋王防衛を決めるなど、時折トッププロ棋士の対局でも使われた。 対振り飛車戦で引き角から角筋を通すというコンセプト自体は、飯島流引き角戦法などで現代でも使われている。
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