富山港工業地帯への供給
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「日本海電気」の記事における「富山港工業地帯への供給」の解説
1938年(昭和13年)11月末時点での供給実績は、電灯取付数37万4418灯、小口電力販売8,137キロワット、大口電力販売13万9,957キロワットであった。1930年代を通して電灯取付数の伸びは鈍く、電灯料収入はほぼ同水準で推移した。一方で大口供給を中心に電力供給は大きく伸長し、それに伴い電力料収入も着実に増加して、1938年下期の決算では電灯料収入の4倍の規模となった。大口供給は重化学工業向けが中心で、1939年末時点のものではあるが大口工場需要家(供給電力3,000キロワット以上を挙げた)は以下のものがあった。 工場名所在地供給電力 (kW)備考日満アルミニウム富山工場上新川郡大広田村 49,900 現・昭和電工セラミックス 日本鋼管電気製鉄所射水郡伏木町 16,000 現・JFEマテリアル 日本カーバイド工業下新川郡道下村 10,000 日本曹達岩瀬工場上新川郡東岩瀬町 10,000 現・大平洋ランダム 北海電化工業射水郡伏木町 8,000 中越電気工業中新川郡滑川町 6,700 後の東海カーボン中越工場(閉鎖) 東洋曹達富山工場上新川郡東岩瀬町 5,000 現・東ソー富山事務所 不二越鋼材工業東岩瀬工場上新川郡豊田村 3,650 現・不二越東富山事業所 呉羽紡績呉羽工場婦負郡西呉羽村 3,000 後の東洋紡績呉羽工場(閉鎖) 七尾セメント七尾工場石川県七尾市 3,600 後の住友セメント七尾工場(閉鎖) このうち日満アルミニウム・日本曹達岩瀬工場・東洋曹達富山工場の3工場は富山港または富岩運河沿いに進出した工場である。このエリアへ最初に進出したのは保土谷化学工業系の東洋曹達富山工場(当初は第二東洋曹達東岩瀬工場)で、1930年に金属ソーダ・青化ソーダの生産を開始した。工場進出には日本海電気が関係していたという。 最大の大口需要家である日満アルミニウムは1933年10月に発足。12月試験用の仮工場の建設を経て本工場を建設し、1935年5月からアルミナ製造、7月からアルミニウム精錬をそれぞれ開始した。日満アルミニウムは工場建設にあたり、アルミニウム精錬に必要な膨大な量の電力供給を県営発電事業を営む富山県へと打診。県では工場誘致政策に合致するとして要請を受諾し、県営発電所から日本海電気を経由して送電すると決定、これを踏まえて日本海電気は日満アルミニウムとの間で常時電力3万2,900キロワットを1キロワット時あたり5厘7毛8糸で供給するという契約を結んだ。工場操業開始後の1936年6月、県が日満アルミニウム供給用として黒部川に建設した愛本発電所(出力2万9,700キロワット)が運転を開始している。 日本曹達は中越水電時代以来の需要家であるが、1936年10月東岩瀬町に新しいフェロアロイ工場の岩瀬工場を建設した。また日本曹達傘下の日曹人絹パルプ(現・興人)が富岩運河沿いの現・富山市興人町へ進出、1938年6月富山工場を設置した。この日曹人絹パルプ進出に際し、同社がレーヨンパルプ製造時に使用する水蒸気の供給を主目的に、日本海電気では同年9月30日出力1万キロワットの富山火力発電所を新設した。 上記富山火力発電所に続き、1939年(昭和14年)12月3日および翌1940年(昭和15年)1月9日に片貝川において片貝第三発電所(出力2,900キロワット)・片貝第四発電所(出力1万5,500キロワット)がそれぞれ運転を開始した。両発電所の完成で発電所は水力20か所・火力1か所の総出力7万2,340キロワットとなる。一方で受電は富山県営真川・愛本両発電所からの受電5万9,700キロワット、黒部川電力からの受電2万7,000キロワットなど8事業者から計9万9,359キロワット(融通電力を計算に含まず)があり、発受電は合計17万1,699キロワットであった。 1930年代後半は兼営の富山市内におけるガス事業にも動きがあり、富山電気ビル内のレストランや大和百貨店、県庁などの大口需要家が加わり、その上日中戦争勃発で軍需工場への供給も増えると見込まれたため1937年12月に工場に2号ガスホルダーが新設された。次いで1939年1月には不二越鋼材工業への供給のためガス炉が1基増設されている。なお1938年度の年間ガス販売量は107万5663立方メートルであった。
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